憧 憬 の 轍
2022年5月15日 殷鑑遠からず
50年前の今日、終戦後27年間アメリカに統治されていた沖縄が日本に返還された。
復帰記念式典の壇上での屋良朝苗知事の言葉を今、改めて振り返る。
「沖縄復帰の日は、疑いもなくここに到来しました。しかし、沖縄県民のこれまでの要望と心情に照らして、復帰の内容を見ますと、必ずしも私どもの切なる願望が入れられたとは言えない事も事実であります」
沖縄にとって復帰とは何だったのか、同時に日本にとって何だったのか。
それは数多くの大災害からの「復興」の意味を問う事に似ている。
いや、「復興」の意味を問う事が「復帰」の意味を問う事に似ているのかもしれない。
誰もが納得する答えなど見つかるはずも無いがそれでも問い続ける。
これまでの50年を振り返り歴史を知る事も重要な事だが、その上でこれからの50年を考える事の方がさらに重要な事だと思う。
このスクーターをジャンクヤードから仕入れて、某設計屋ことサンK氏のためにサスペンションを重量運搬仕様にしたのは10年ほど前だったと思う。
重量運搬仕様と言っても彼の当時の体重を考慮したものだった。
そのHONDATactが帰って来た。
修理のために帰って来たのではなく、K氏の体調の問題から不要になったからだった。
見た目は難有りだがまだまだ走るので、スクラップにしてしまうにはもったいない。
何と言っても今となっては貴重な2ストロークのスクーターだ。
『🔰若葉マークのS』の副業には丁度良いので、先日ナンバーを返納したばかりだが再登録する事になった。
このスクーターはこれまでに何度か整備のために作業場に帰って来たが、最後のトラブルは燃料ポンプと供給ラインの詰まりだった。
中間に付けたストレーナーを見れば状態は粗方把握出来るが、その度にシートを外さなければならない。
5月4日の「春一番ツーリング」はトラブルの連続で同行者には迷惑かけっぱなしだった。
そのため大奮発したオイル、MOTUL 4Tの効果を確かめきれなかった。
ただ言えるのはクラッチが普通に使える状態になってからシフトレバーの感触が良くなった事と、燃費が上がった事だ。
135㎞走行後の給油量は約4.2ℓ、すなわち1ℓあたり約32㎞。これまで‘75 CB400Fourは1ℓあたり25~27㎞だったので、5㎞以上伸びた事になる。
これが偶然でなかったとすれば大奮発は大正解だったと言える。
シフトレバーの感触についてはあくまでも個人的なものだが燃料の消費量は数値で表すことが出来る。
日々暖かくなっているとは言っても前日との温度差が10℃近い。
風の冷たさに躊躇していると雨雲が小雨を置いて行く。
横浜町の菜の花畑まで行って見ようと思っていたがバイクを外に出す気になれない。
梅雨が始まる前にオイルひとつでエンジンがどれだけ変わるのか、自分なりに確かめてみたい。
5月も既に半ばを過ぎる。
憂鬱な梅雨の予感と晴れ渡る夏空への期待。短い夏が過ぎれば季節は秋、その後はまた雪が舞う事も知っている。
それでも夏が恋しいのは北国に生まれ育った者の性なのだろうか。