バイクもどんどん、ちむどんどん

憧 憬 の 轍

 

2022年5月8日 バイクもどんどん、ちむどんどん

 

最長で10日と言われた今年の大型連休が終わった。

 

3~4日前からニュースでは渋滞した高速道路の映像が映し出されている。

 

連休後半の北東北は比較的に好天に恵まれ、昨日は25℃以上まで気温が上がった地域もあった。

 

最終日の今日は20℃にも届かず、加えて風が冷たい。それでも暖かい日差しに気が和む。

 

 

 

エンジンの再始動に成功したW1だが、キャブレターの調整に関してはまだ課題が多い。

 

フロートによる油面高とエアスクリューだけで調整しなければならないが、同調についてはマニュアルにも書かれていない。

 

走らせてみなければ何も分からないと言う訳だ。

 

そのためにも電装系などを再確認した。まずは近々に手配する予定のバッテリー周辺から。

 

アース側(-側)の配線に巻かれていたビニルテープを剥がすと赤い配線が現れた。

 

配線図によればこの車両のアース側は黒色だ。さらに電源側(+側)は白色だがなぜか黒色の短い配線がつながれていた。

 

 

 

ここも配線の色がおかしい


                   

 

 

 

端子には緑青が出ていた



 

 

 

配線を少しでも配線図に従った色に戻しておかなければ、今後メンテナンスする際に余計な時間がかかる事になる。

 

さらに手を加えられた配線は容量を無視している事も多い。

 

メインハーネスの接続されている部分も確認しながら作り直した。

 

 

 

ヒューズホルダー以外は使いモノにならない


        

 

 

 

この程度を作り直すのは朝メシ前



 

 

 

これまでの経験から配線はギボシの接続部分をひとつでも減らした方が通電ロスが少ない。

 

メンテナンス時に切り離す必要のない部分に使われているギボシをハンダでつなぐのだが、オリジナルの配線図に無い配線を設ける場合は正確に記録しておかなければ後が怖い。

 

自分でやった事にも拘らず分からなくなってしまうからだ。

 

そして当初から気になっていたフラッシャーリレーはタイラップでぶら下げられた状態だった。

 

振動が大きいエンジンなのでゴムシートでホルダーを作ってみた。

 

 

 

リレーの設置場所が分からない・・・


              

 

 

 

とりあえずホルダーを作って納めた



 

 

 

灯火類の配線の導通を確認しながら思い出した事があった。

 

サイドスタンドが払った時にマフラーと干渉する。

 

車重から考えてセンタースタンドを使うのはメンテナンス時だけで、日常的に使うのはサイドスタンド、造りが堅牢なので角度は変わっていないが開き角を決める部分が摩耗している。

 

1㎜厚のゴムシートを挟んでみると丁度良い位置で収まるので、後日スタンドを溶接で肉盛りしようと考えている。

 

 

 

払う度にマフラーに当たる



                   

 

 

 

1㎜のゴムシートを挟んで丁度良くなった



 

 

 

そろそろ本格的に車検を受ける準備もしなければならない。

 

昭和59年7月11日の日付がある「登録事項等証明書」によれば、初年度登録は昭和42年(1967年)で最後の車検満了日は昭和51年(1976年)8月29日。

 

その後に登録を一時抹消したままだとすれば46年ぶりの車検、再登録と言う事になる。

 

おそらく検査は新規車検と同様に行われるだろう。

 

それは‘75 CB400Fourの時のような検査になり、必要な書類も継続車検に比べて多くが求められることが予想される。

 

 

 

 

NHKの「朝ドラ」には興味が無かった。

 

放映している時間帯にテレビを観ていられなかったからだ。

 

かつて長く暮らした北海道を舞台とした「マッサン」は、今も愛飲しているニッカウヰスキーの創業者=竹鶴政孝氏の事をドラマ化したものだったが、一度も観る事が無く終わった。

 

そして今回の「ちむどんどん」。舞台は沖縄。

 

毎回見ている訳ではないが、風景やセリフのイントネーションに懐かしさにも似た感情を覚える。

 

沖縄の友人達のような「うちなーぐち」でセリフ廻しが出来ないのは仕方ないとしても、このドラマが沖縄や米軍基地を抱える街の事を考える機会につながればいいと思った。

 

沖縄返還から50年。「薩摩世から大和世、そしてアメリカ世からまた大和世」。

 

翻弄された歴史は甘受される反面、ひとつの対立軸として色濃い影を生んでいる。

 

北海道では時代と共に本州を「内地」と言う人が少なくなっているが、沖縄でもそうなのだろうか。

 

どんなに沖縄を愛していても、所詮は自分が「ないちゃー」でしかない葛藤。

 

三線の音色が優しく響く。