憧 憬 の 轍
2022年6月5日 再演
「天安門事件から33年」。
台湾では追悼集会が開かれたが香港や中国本土では開かれていない。
「日本赤軍元最高幹部、20年の刑期を終えて出所」。
彼女が関わった事件の多くは海外で起きているため、事件そのものよりも名前だけが独り歩きして来た。
時代の流れと共に変わったものがあれば変わらないものある。
語り継ぐ者がいれば口を閉ざす者もいる。ただ多くの疑問が置き去りにされたままだ。
毎日気温が下がり、7日(火曜日)は最高気温が10℃程度と予想されている。
天気図を見れば日本列島が低気圧で囲まれている。
当初、今年の梅雨は入りも開けも早いのではと言われていたが、どうやら外れそうだ。
雨が降ったら即時中止と言われていたが、林道ツーリングに向けて『樵の巨匠』のガレージ前は朝から賑やかだった。
朝方の霧は晴れ、青空も見え始めていた。
バイクの整備に手こずりながらも予定していた車両はすべて揃った。
自分は所用で参加できないのでツーリングの詳細は『編集長』に任せることにしよう。
先週末から手を付けたXL250Rはシリンダーヘッドのボルトにトルク抜けが無い事を確認してヘッドカバーを載せた。
ヘリサート加工したネジ山に期待しながらボルトを締めた。
マニュアル指定のトルクは1.0~1.4㎏・m、シーリングワッシャーの入るボルトは1.0~1.2㎏・m。
ヘッドカバーに使われるボルトはどれもM6だが6種類の長さ、タペットカバーまで入れれば7種類となる。
5㎜程度の差であれば間違って入れても問題無く締まってしまう。
さらにシーリングワッシャーの入るボルトをパーツリストで確認しながら。
トルクは問題なくかかったが明日以降、タンクを載せる前に再確認するつもりだ。
1982年、HONDAは当時のパリ・ダカールラリーに参戦していたXL500改をモデルにXL250R Paris-Dakarを発売した。
修理しているXL250RはParis-Dakarモデルとして発売されたものではなく、その原型のXL250Rだった。
ジャンクヤードから仕入れたタンクやフェンダーやシートなどを組み付け、キャンプツーリングに特化する事を考えて大きなキャリアを作ったり、後継モデルのXR250 BAJAの2灯式ヘッドライトを取り付けたりしたため、原型から大きく離れてしまった。
外した部品はすべて保管してあるが元に戻す気はなれない。
本来のブロックタイヤを舗装道路も走りやすい物に替えたXL250Rは、大型のバッグを括り付ければ1ヶ月どころか1年がかりの長旅も出来ると思っていた。
時間と懐勘定が許せば明日にでも出かけたくなる。様々な事情で長らくキャンプもしていない。
何度も出かけたキャンプツーリングを思い出しながら、久々にテントや寝袋を広げてみたいと思った。
類は友を呼ぶと言うべきか・・・。
2年ほど前から時々作業場に遊びに来る『ナンちゃん』ことM氏が『サトちゃん』ことS氏を連れて来た。
基本的にGINZA BASEは「去る者は追わず、来る者は拒まず」が鉄則だ。
トーハツのアローをレストア中との事だが思うように作業が進んでいないらしい。
カンカン帽に丸眼鏡、昭和30年代を標榜する出で立ちも然ることながらサバイバルゲーム好き、モデルガン大好き、そして軍服マニアだ。
そんな彼のトーハツが近々にGINZA BASEにやって来る。
6月最初の週末。
今月が終われば今年も半分が過ぎる事になる。
来月に控えた車検の準備もしなければならないため、これまで以上に慌ただしくなりそうな予感。
年齢のせいか時間の経過が早く感じる。
それでも残る週末は3回しかない。
それだけに梅雨入りの時期が気にかかる。
編集長のおまけ!!
私編集長、今回T氏のイーハトーブを借りまして林道デビューしました~(笑
目的地の河原では川虫捕まえて釣りしたり、カエルやサンショウウオと戯れたり
樵師匠が準備してくれた中華ザルにみんなで舌鼓!!
バイクも服もデロデロになったけど
おもしぇ~かった~