憧 憬 の 轍
2023年1月22日 寒垢離 Once Again 8th
この週末から今季最強の寒波が入り、特に北日本の日本海側では天気が荒れると報じられている。
太平洋側に位置する当地でも真冬日が続くようだ。
二十四節気の大寒に入り、まさに読んで字のごとくな訳だが天気には抗い様がない。
懐具合に余裕は無いが傷んだ部品を見ると交換せずにいられない。
シリンダーヘッドに使う厚手の銅製シーリングワッシャーは締め付けトルクによって潰れて機能するワッシャーだがこれも安くは無い。
必要な枚数は10枚、さらに内側に樹脂を施した特殊なワッシャーが2枚必要だ。
特殊な2枚以外はオイルストーンで磨き直して再利用する事も考えていたが、潰れ具合や締め付け跡を見るとその気も失せてしまった。
マニュアルに指定されているシリンダーヘッドの締め付けトルクは200㎏・㎝。
トルクについては単位の表記が㎏・㎝だったり㎏・mだったりと統一性が無い。
シーリングワッシャーもガスケットも新しいものなので、トルクの抜けが無くなるまでエンジンの作業は中断する。
クラッチもキックスターターもマグネットローターも組んでいないが、この状態でフレームに載せる事を考えているのは少しでも軽い状態で作業したいと考えているからだ。
エンジンの総重量は約65㎏。
エンジンの作業を一段落してマフラーやその周辺に付いている汚れを落とす。
昨年の「悪夢の1泊ツーリング」の後、タールの混じった泥などもそのままだった。
マフラーやエギゾーストパイプの汚れは特に酷い。
単に雨の中を走ったのなら泥だらけになるだけだが、舗装工事中の路盤に撒かれたタールと砂や土が混じっているようだ。
泥だけなら水洗いした程度で済むが、この汚れはなかなか落ちない。
油汚れ用の洗剤や脱脂剤が必要だった。
シリンダーヘッドのナットのトルク抜けが収まるのを待ってエンジンを搭載する予定だが、それは次回の作業と割り切ってフレームやチェーンカバーにこびり付いた汚れも落とした。
マフラーやエギゾーストパイプほどではなかったがやはりタールの混じった泥は落ちにくかった。
『スポカブ・ブラザース(弟)』は全バラしたCB50改のエンジンの各部を確認しながら必要な部品の拾い出し。
『編集長』もその傍らで灯火類や前輪ブレーキのチェック。
日曜日の午後の作業場は今日も賑やかだった。
さらに『チャレンジャーのタカシ』がメンテナンス中のaprilia 240Rは前輪のブレーキキャリパーを固定しているボルトが何やらアヤシイ・・・。
この車両はほとんどの部分のボルトが六角穴付ボルトだが1本だけホームセンターで売っているようなボルトが使われていた。
抜いてみるとボルトが伸びているような・・・。
伸びていたボルトのアタマには強度区分を表すマークや数字は無い。
おそらくは強度区分や精度の低い製品だろう。
そうだとしてもこんなに伸びるまで締め付ける腕力も凄いと思った。
ブレーキのメンテナンスをしているのは『チャレンジャーのタカシ』や『編集長』だけではない。
ハンドルを本来のセパレートハンドルに戻したSUZUKI GSF250の前輪ブレーキに『若葉マークのS🔰』が挑んでいる。
目的はディスクブレーキのピストンの清掃とシールの交換。
今夜にも『スポカブ・ブラザース(弟)』が必要な部品と共に自分が必要な部品も注文するらしい。
来週末もまた賑やかになりそうだ。
‘75 CB400FOURは簡単に譲渡手続きが出来ない状態の不動車(事故車?)を譲り受けてからこの冬で実質的に14年。
足掛け3年かけて再生してから10年以上になる。
再生を始めた頃、Blogのタイトルは「Days of CB400Four」で、「絶版車の再生日記、あるいは貧乏人の旧車再生記録」とサブタイトルを付けていた。
悲しい事に貧乏人であることに変わりは無いが、この十数年で実に多くの事を学んだ。
「知識は人生を楽しむためのスパイス」ならば、そのスパイスをひとつでも多く知る事によって、または味わうことによって楽しみは何倍にも膨れ上がる。
あらゆる知識に対して貪欲でいたいが既に老化が始まって久しい脳が、はたしてどこまで機能してくれるのか・・・。
甚だ疑問でもある。
閑話休題 時の流れ
嶽温泉の『山のホテル』が破産申請を準備中と報じられたのは16日の事だった。
嶽温泉郷で最も歴史のある老舗旅館で創業は1674年(延宝2年)、350年もの歴史ある温泉宿だ。
COVIT19の影響で客足が途絶えただけでなく嶽温泉郷は源泉の低温化などによって今、窮地に立たされている。
『山のホテル』の名物「マタギ飯」、もう一度喰いたかったなぁ・・・。
炊きあがるまでの約40分、ひとっ風呂浴びて来るにも丁度良かった。
下北半島の福浦にある『ぬいどう食堂』も経営者の高齢化から「生ウニ丼」の提供を止めた。
「なおじろうチャンポン」が美味かった鯵ヶ沢の『民宿・なおじろう』も御主人が他界されて閉店してしまった。
180円でラーメンを提供していた『かわら食堂』も、昭和45年からメニューも価格も変えずに続けて来た『宝来食堂』も、浅虫の『ろくさん食堂』も今は無い。
様々な理由で知る人ぞ知る名店、あるいは温泉宿が暖簾を下す。
それは自分の周りだけでなく全国的な傾向なのは想像に難くない。
一抹の寂しさだけでなく諸行無常と言う言葉が過ぎる。
かつてここには道を挟んで東屋、中屋、西屋、大きな茅葺屋根が目を引く3棟の温泉宿があった。
残念な事に2000年3月に東屋と中屋は火災で全焼。
再建を試みるも現行の法規では往時の姿(茅葺屋根)は認められなかった。
開湯700年とも言われる湯は今も変わらずに湧いている。