憧 憬 の 轍


憧 憬 の 轍


201712  謹賀新年



 明けましておめでとうございます。旧年中のご厚誼に深謝申し上げます。


2010年の春から書かせていただいているこのブログも、


もうすぐ7年目を迎えることになります。


どこまで続ける事ができるのか、自信はありませんが、


本年もよろしくお願いします。

 

 今年もダカール・ラリーが始まった。


このラリーが南米で開催される事になった経緯はアフリカの情勢を考えれば納得せざるを得ないが、


やはりサハラ砂漠を走ってこそのダカール・ラリーと思っているのは自分だけではないと思う。


 今年はパラグアイアスンシオンからボリビアを経て


アルゼンチンのブエノスアイレスまでの約8,800㎞で競われる事が伝えられている。


114日のゴール・セレモニーに辿り着くまでの過酷極まりない2週間の始まりだ。


 このラリーの創始者、ティエリー・ザビーヌ(Thierry Sabine 故人)の言葉が懐かしい。


“私にできるのは、冒険の扉を示す事。扉の向うには危険が待っている。扉を開くのは君だ。望むなら連れて行こう”


 いつの日にか再びこのラリーが「パリ-ダカール・ラリー」として


アフリカで開催される事を願うと共に、日本車の活躍に期待したい。


この14年間、モト部門はKTMの独壇場だ。


1回大会から第20回大会まではYAMAHA9回、HONDA5回優勝している。


21回大会以降はBMW2回優勝しているだけで、KTMが絶対的な王座を守っている。

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1997年のコースはダカール~アガデス~ダカール

篠塚建次郎氏が日本人として初めて総合優勝したのもこの年だった。
 

開催地が南米に移って以来気になっているのはマシンの排気量が小さくなっている事だ。


ほとんどのメーカーが450ccだ。エンジンの性能が向上した事と、


コースの性格上、大排気量のエンジンは不用になったのだろうか?