憧 憬 の 轍
2018年5月6日 春の嵐、あるいはMayStorm
連休最終日。
渋滞の高速道路や混み合う新幹線や帰国ラッシュの空港の映像がニュースを彩っている。
毎年繰り返される光景だ。
連休に合わせて企画されたイベントなどに期待しないなら、
明日から数日の休みをとった方が有意義な休日を過ごせそうな気がする。
2日に日本列島を南から覆い始めた低気圧は北上を続け、
雨模様が続いた。
初夏を思わせる陽気で始まった連休にまさに
“水を差した”状態だった。
新年と共に作業場にやって来たJC58も、
2日に車検を取得するべく整備をして来たCB400Fourもタイヤを待っている。
JC58のタイヤはいつ破裂しても不思議でないほど硬化しオゾンクラックが激しい。
CB400Fourのタイヤはスリップサインの一歩手前で車検に通るとは思えない。
次の週末は2台のタイヤ交換と試乗を予定している。
CBのタイヤ交換は3回目なので苦はないがJC58はハブやチェーンケースの組み方が独特だ。
基本的には同じ造りのJC57のマニュアルを手に入れてあるので熟読しておかなければならない。
次の週末は「タイヤ交換祭り」どころか「タイヤ交換の嵐」になりそうだ。
JC58 オゾンクラックだらけ
CB400Four スリップサインの一歩手前
連休最終日のせっかく晴れた日曜日をダラダラと過ごすのはあまりにももったいない。
久慈市の山根端神地区は俗に六郷とも言われ、
毎年5月から11月までの第一日曜日に市が立つ。
5月は水車祭りだ。
数年前に訪ねた時に口にしたイワナの塩焼きや寄せ豆腐(ゆかべ)や
打ちたての蕎麦の味を思い出しながら国道45号線を南下した。
何度も修理されて今も現役の水車
山根神楽の恵比寿舞
平成28年8月末、
東北地方に上陸し迷走を続けた台風10号によって川は氾濫し、
一時的に集落は孤立した。
その爪痕は今も各所に残っていた。
災害とは無関係かも知れないが、訪れる度に茅葺屋根の建物が減っている。
今年も「いただきます」
早速河原で 「ビールも!」と言いたくなる・・・
山根地区まで来たからには野田村の苫屋に寄らなければならない。
昨秋以来、ご無沙汰している。
苫屋についてはこのブログでも何度か取り上げているだけでなく、
今や世界的(?)に有名な宿泊施設と言うか食事処と言うか・・・。
30年近く通っているにもかかわらず説明が難しい。
電話設備がない、
と言うよりあえて設けていない苫屋にインターネット環境は望めない。
すなわちこのブログをネット環境で読んでもらう事は出来ない。
それゆえにプリント版で定期的に届けている。
いつ来ても変わらない
小川の側の小さな茅葺は倒壊してしまった
「そうまでして読者を増やしたいのか」と言った意見もあるかもしれないが、
かつて宿主も私のCB400Fourの再生を心待ちにしてくれた一人だった。
進行状況を連絡する意味で記録をプリントして届けたところ、
バイクで訪れた客に紙がボロボロになるまで見せていたらしい。
「俺達が16の頃のバイクだ」と言って。
宿主も私も同じような時代を過ごし、
バイクに対しても同じような想いがある事を知って「宿題」が始まった。
苫屋に電話が引かれ、
さらにインターネット環境が整う日は絶対に来ないと私は確信しているが、
Wi-Fi環境の普及は凄まじいものがある。
それでも苫屋に電話が引かれない限り、
「宿題」を定期的に届けようと思っている。
凍てつく日の軒に出来たツララも、
屋根に積もった雪も、
春の陽気に溶けて水は川を流れ、
やがて海に注ぐ。
茅葺屋根が静かにそれを語り、
移ろう季節を教えてくれているようだった。
閑話休題 忖度
May Stormが和製英語だった事を知ったのは最近の事。
それでも通じたのは相手の忖度があったからだと思うが、
そもそも英語圏の「忖度」は日本語のそれとは違うような気がする。
通訳を介して日本語と英語で行われたが、
「忖度」の意味を伝えるためには長い説明が必要だった。
日本語を話す日本人にしか理解できない日本語があっていいのだと思った。