憧 憬 の 轍
2019年12月8日 正直に
午後5時前に日は沈み、否応なしに冬を実感している。
各地から積雪量が30㎝を越えたとか1mを越えたとか、雪に関するニュースが届く。
本州の北のはずれの、比較的雪の少ない街で暮らしていながらも憂鬱な季節だ。
「野戦病院」と異名を取った事もある作業場で今日予定されていた“手術”は、『スポカブ・ブラザース(弟)』のCB92用のシリンダーヘッドをC92のシリンダーヘッドから加工する事だった。
と言う訳で切開手術開始!
CB92には本来タコメーターは付いていない。
メーターそのものだけでなくメーターギヤを駆動するために延長されたカムシャフトも、すべて「Y部品」と呼ばれる当時少量生産されたレース用の部品だ。
高価だっただけでなく絶対数が少ないため、良好な状態で現存するものは極めて少ない。
金ノコに電動ドリルにフラッター(板ヤスリ)、さらにサンドペーパー。
本来なら精密な掘削機械でやるべき作業なのかもしれないが、CB92がレースで盛んに使われていた頃、同じようにしてタコメーターを付けたりした人達がきっといたはずだ。
レースは実に金のかかる活動だ。
それは今も昔も変わりない。
そして今も昔も変わらないのはスピードへのあこがれだ。
メーカーはさらなる技術革新を目指してレースに挑むのだろうが、素人がレースに参加する目的は純粋なスピードへのあこがれ以外に何があるだろう。
Y部品が販売されていた当時と今とでは時代背景があまりに違い過ぎる。
バイクと言う機械をとりまく環境も時代と共に変わってきた。
1975年(昭和50年)に改正(個人的には改悪と呼んでいる)された自動二輪免許に付された、いわゆる「中型限定」。
同時に限定解除審査も行われたが合格率は概ね1%程度で司法試験よりも難しいと揶揄された。
そして「大型二輪車おあずけ」の時代はその後25年続くことになる。
暴走族や二輪車の交通事故増加を理由に設定されたはずの中型限定は1996年(平成8年)に再び改正される事になる。
しかしそれは大型二輪車に対する考え方が変わったからではなく、国外の自動二輪車メーカーが「日本で大型輸入バイクが売れないのは日本の運転免許制度が原因で非関税障壁となっている」として年次改革要望書などを通じて強く規制緩和を求めた結果だった。
普通にバイクに乗っているだけで暴走族と呼ばれ、春と秋の交通安全週間が始まろうものなら毎日交番の前で
止められた。今となっては苦々しくも懐かしい若い頃の記憶。
「免許の条件等」の欄には今、「中型車は中型車(8t)に限る」とだけ記されている。
大型二輪免許を取得してから条件欄からは「自二車は中型に限る」の一文が消えたが、いつの間にか普通自動車免許が中型自動車免許になり、さらに「中型限定」の二輪免許は「普通自動二輪」になって400cc以上の排気量の二輪車を運転すれば今では無免許扱いになってしまう。
いつまでたってもやはりバイクは“厄介者”なのだろうか。
何度通っても合格の兆しが見えない限定解除試験にしびれを切らし、「条件違反なら2点減点で済む」と覚悟して500ccや750ccのバイクに乗っていた事もあった。
都合、3回目で1ヶ月の免停をくらう計算だった。
それにしても不思議だったのは大型車を乗っていた時に停められた事や捕まった事がない事だ。
数日前に免許証を更新した。
間違っても人に言えない程のスピード違反経歴があるにもかかわらず、なぜか免許証の有効期限欄には金色の帯があった。
話を『スポカブ・ブラザース(弟)』のCB92に戻すが今後、タコメーターギヤユニットの内部に必要なギヤと特殊なカラーを世界中のどこからか探し出せるか、あるいは作れるか、“あこがれ”が今日も加速して週末が終わる。
閑話休題 実験
諸般の事情と言うか大人の事情で暫らくキャンプに行っていない。
日が暮れる前にテントを張り、寝袋を広げ、何時でもすぐに眠れる状態を作ってから夕食や酒の肴を作る。
傍らには焚火。
手元を照らす光源は今ではLEDが普通だが、あえてガソリンのランタンや焚火の灯りで。
もちろんストーブの燃料もガソリンだ。パチパチと爆ぜる薪の火の粉に気を遣いながら、小割りした薪と酒を手に過ごす時間は何物にも代えがたい。
既に季節は冬だがキャンプに行きたい。せめて気分だけでも・・・。
そんな思いから家の中でも寝袋で眠っている。
さすがにmont・bellのDown Hugger #5ではもう寒い。
そこで引っ張り出したのはAlpine Down Hugger #3。
一般的に寝袋に付いているジッパーが無い。チューブ状の寝袋はその脱着がジッパーの付いている寝袋よりも面倒だ。
軽量化と保温性能に拘った結果、#2に匹敵するのがAlpineモデルの証だろう。
翌朝は氷点下まで冷え込むらしいので、今夜は窓を開け放して寝てみようと思っている。