憧 憬 の 轍
2024年1月3日 年明け早々
新しい年を迎え、「明けましておめでとうございます」と御挨拶しなければならないのだが、1日の午後4時過ぎに石川・能登地方で起きた大地震は最大震度7を観測し、日本海側の広範囲に大津波警報や注意報が発令された。
日付が変わっても震度3~5レベルの余震が続いている。
震源地が陸地に近かったせいか、東日本大震災の時のような大津波は今のところ観測されていない。
自身の経験としては昭和43年(1968年) 5月の十勝沖地震は震度5(当時の基準)を観測し、沿岸部では津波の被害もあった。
停電、断水、長く続く余震に夜も眠れなかった記憶は50年以上前の事でも未だに生々しい。
そして東日本大震災、今後も大地震を経験する事になるかもしれない。
さらに2日、羽田空港で起きた航空機の衝突事故。
年明け早々に痛ましいニュースが続き、不安な正月だ。
一応人並みに年末年始休暇な訳だが、どこかへ出かける予定もない。
必然的に「OHMACHI BASE」でVMX12作業再開だ。
まずは仮組のままだったフロントフォークから。
オイルを入れてから数日過ぎているので気泡も抜けているはずだ。
既定のオイル量は621cc、油面高123㎜。油面高を測る専用の道具がある事は知っているが持っていない。
これまでと同様に「さしがね(曲尺とも言う)」で測る。
前輪にアクセルシャフトを通す前にスピードメーターギヤのグリスを入れ替えた。
量的にも少なかったし、2種類のグリスが使われていた。
スピードメーターのケーブルも中を洗浄して注油。
ブレーキキャリパーを戻して作業は一段落だ。
前輪に続いて後輪。
ホイールのベアリングなどは交換の必要がない事を確認してある。
ピボットのボルトを外し、スイングアームはデファレンシャルを付けたまま抜き出した。
さすがに重い。
デファレンシャルケースはアルミだがスイングアームは鉄製。
どちらも錆や腐食が塗装の下に広がっている。
スイングアームの錆は溶接部分の周辺だけだと思っていたが塗装被膜の下でほぼ全面に広がっていた。
さらに塗装被膜が硬く厚めなので手強い。
剥離剤を使おうと思ったがかなり強力なものが必要なので地道にサンドブラストしてみた。
デファレンシャルを切り離して何とかブラスターに入れたが余裕のある作業ではなかった。
結局ほぼ全面をブラストする事になってしまい、静電気によって体は細かな埃だらけだ。
デファレンシャルはドライブシャフトを抜いてサンドブラストする事を考えていたが特殊なオイルシールが使われていた。
オイルシールの状態も悪くないし、今からこれを手配していたのでは予定が大幅に狂ってしまう。
ドライブシャフトを外さないままブラスターに入れたがスイングアーム同様に余裕のない作業になってしまった。
今さら「エライものに手を付けてしまった・・・」と後悔しても始まらない。
十分すぎるくらい予想していた事だし、事実楽しんでいる。次の週末には後輪も組んでリフトから降ろす予定は変わっていない。
阪神淡路大震災や熊本地震だけでなく、台風や大雨などの数多くの天災を経験しながらもそれぞれの地域は立ち直って来た。
今はまだ災害の全容が分からないが季節はこれから最も寒い時期に向かう。
これ以上被害が拡大しない事を願うばかりだ。
自衛隊や政府の援助だけでなく、もうすぐ多くのボランティアが駆けつけてくれるだろう。
復興の立役者はいつも名もなき人たちだ。
今あらためて新年の挨拶に代えた最大のエールを被災地に送ろうと思う。