憧 憬 の 轍
2022年4月3日 啓蟄も覚醒も・・・そして花は咲く
街に降った雪はほとんど残っていない。
新年度とか新学期と言った単語があちらこちらに踊っている。
それと同じく「桜前線」とか「開花予想」などの単語も。満開を伝えるニュースに映る桜の花を観ていると、4月を新年度とした理由が分かるような気がした。
そして予想最低気温にマイナスの表示が無いだけでまた少し気持ちが上を向く。
西の彼方で長く続く諍いの影響もあって生活必需品の多くが値上がりしている。
そればかりでなく旧ソビエト連邦時代からの係争地での停戦合意違反など、非難の応酬も報じられる。
国家は力任せにまとめられるのではなく、民意によってまとまるべきだ。
そんな人類だけの大問題とは無関係に北国の桜がもうすぐ咲く。
先週末から持ち越しになったシリンダーヘッドにロッカーケースを固定する準備。
ケースを載せてからネジ山の不具合に気が付くようなヘマを繰り返さないためにも、シリンダーヘッドのネジ穴の状態を再確認してから。
プッシュロッドのセットは今回もφ0.5mmの針金で固定し、ロッカーケースを仮止めしてボルト穴の深さを測った。
M8-63mmのボルトが入る部分は4ヶ所、ロッカーケース上部からネジ穴の底までは70mmから74mm。
1.5㎜厚のワッシャーも入るが計算上は7㎜程度の余裕がある事になる。
ただ穴底までネジ山が切られている訳ではないのでプラス3㎜に期待して66mmを使う事を考えた。
高価な某社外品がこのボルトを65mmで販売している事も参考にした。
ボルトの長さ自体は長い物を切れば済むが問題はスパナサイズで、一般的に売られているM8の六角ボルトは13mm。
12mmの物は「小形六角ボルト」に分類される。
M8からM30まで設定されている事も今回初めて知った。
用意したボルトは小形六角の全ネジM8-80mm。
半ネジM8-70mmを探したがバラ売りの商品が見つからなかった。
切断するには80mmでも70mmでも変わりはないし、200本/箱なんて買ったところで使い用が無い。
66mmに切り揃えたボルトでロッカーケースを固定したが、マニュアルに書かれている4.5㎏f・mまでトルクをかけるとネジ山をまた損傷しそうだった。
そんな失敗はこれまでに何度も経験した事で、手がその感触を覚えている。
ガスケットもワッシャーも新品なのでとりあえず2.5㎏f・mで締めて後日、再確認と増し締めをする事にした。
エンジン腰上のオイル滲み(漏れ?)を止めるための作業はクランクケースのサイドカバーを残すのみとなった。
♯50アルミナでブラスト済みだがバフ磨きの準備もしなければならない。
それと同時に電装系も気になる。
プラグコードは硬化が進んでいるし、ヘッドライトのバルブは光量不足で車検に通らない。
バッテリーを仮設でつないでみたが大きな問題は無さそうだった。
発電系統さえしっかりしていればコネクター類の確認だけで済むかもしれない。
希望的観測(?)は外れた時の落胆が大きいので最小限にしておかなければ・・・。
そんな事を考えているとW1の隣にはHONDA XLR-250、ついに『特攻隊長』も動き出した。
この5年間、大掛かりなメンテナンスもせずにカッ飛んできた『特攻隊長』の愛車も実は満身創痍。
ワイヤー類は油分が抜け、キャブレターも動きがアヤシイ。
ワイヤー類の注油にはインジェクターも使うが、最も確実な方法は小さなビニール袋を使う方法で少々時間がかかる。
それでも他の作業と並行して行うので某社の潤滑剤CRC-5*6の後にモリブデン系の潤滑剤を入れた。
加速ポンプも点検し、試運転に臨む用意は出来た。
昨日(4月2日)の事だが夕刻に『サンちゃん』ことS氏から電話が・・・。
昨秋にメンテナンスしたKSR80からオイル漏れだか燃料漏れだとか。
緊急入院させたが問題はそんな簡単な事では無いかも・・・。
作業場は「オモラシ君3号」のために野戦病院状態になっている。
天気はいいが気温が上がらないまま午後になって『スポカブ・ブラザース(弟)』は4T下げたスプロケットに新しいチェーンをかけたCB50改の試運転。
『編集長』もブレーキのメンテナンスを終えたZephyrχで。
東北地方の一部地域では卵や蛹の状態で冬を越した虫が羽化する事を「ムシケル」と言う。
「ムスケル」に近い発音をする地域もあるがどちらも成虫になると言う意味だ。
バイク乗り達に巣食う虫たちも次々に「ムシケル」季節。
そればかりか冬眠から覚めた虫も多い。
さぁ、今年はどこまで飛んで行くのやら・・・。
新しい作業場=GINZA BASEはこの週末も賑やかだった。
10年前、さらに5年前に自分のバイクのメンテナンスを自らの手でしなかった者たちが、最近は次々に整備マニュアルやパーツリストを片手に工具を持つようになっている。
もちろん作業内容に個人差はあるが、「出来ない」とか「知らない」とか言わずに自分でやってみようとする姿勢はとても大事な事だと思った。
翻って自分は・・・。
決して完全完璧を求める訳ではないが、知らない事が多すぎる。
ひとりごと・・・古い記憶をPaint it Black
前回の3月例会の際に『スポカブ・ブラザース(弟)』の提案によってThe Rolling StonesのTシャツを買った。
メンバー全員分を揃えるために近隣の某量販店を駆け巡ったらしい。
ユニフォームとして「metamorphoses」のロゴを入れたTシャツかツナギを作る話もあったが、当分はこれがユニフォームになりそうだ。
およそ45年前、同じデザインのTシャツを着ていた。
言うまでも無く既に手元には無い。
新品ながら古びた雰囲気の「唇マーク」に懐かしさを感じる。
そして思い出すのはThe Rolling Stonesの初公演の事だった。
当時、まだ中学生だった私とM君は世界最高のR&Bバンド、あるいはロックンロールと称されたThe Rolling Stonesを観たいと思った。
既に完売していた前売りチケットを買わなければならなかった事も、そればかりか公演会場の場所も知らずに東京へ、家出同然で向かおうとしていた。
「ストーンズが来るんだすけ、東京まで行げば何とかなるべ?」
「たぶん看板だの上り旗だの立ってらごった」
あの夜、5分刈り頭の田舎の中学生はそんな甘い考えで夜行列車に乗ろうとしていた。
親の隙を見て家を出ようとした時、テレビに映ったのは過去の大麻所持を理由に外務省が入国を拒否したニュースだった。
私は自室に戻りラジオを聴いたがその話で溢れかえっていた。
私の家からは走れば5分程度でもM君の家は駅まで歩けば30分以上かかる所にあった。1月下旬の寒空の下、あの古い駅舎で夜半までM君は私を待っていたらしい。
1973年、日本武道館で行われる予定だった初公演は今でも「幻の日本初公演」として既に伝説になっている。
そればかりか前売りチケットの発売にあたっては、前夜から徹夜で並んだ人が4,000人もいた事を知ったのは数日後の事だった。
1970年3月の「よど号ハイジャック事件」、1972年2月の「あさま山荘事件」、1960年代から続いた時代のうねりは、その振幅をさらに加速しようとしていた。
昨年8月にドラム担当のチャーリー・ワッツ(Charlie Watts)が惜しくも他界した。
享年80歳。
Led Zeppelinがドラムの BonzoことJohn Bonhamの急死によって事実上解散したようにThe Rolling Stonesも今後、事実上解散する事になるだろう。
それでも功績と共に「唇マーク」は不滅だ。