憧 憬 の 轍
2019年3月17日 蹉跌と磋躓
先週末、Z50モンキーからマフラーなどを拝借して臨むつもりだったCA105Hの“火入れ式”は、部品がことごとく合わず不発に終わった。
大魔神・O氏のコレクションから調達したC100用のキックレバーやマフラー&エグゾーストパイプを組付け、この週末は改めて“火入れ式”を成功させなければならない。
C100用のマフラーはCA105Hのステップと干渉するので再度取り外し、エンジンの再始動だけを目的とした。
仮にエンジンがかかったとしてもチェーンもシフトレバーも無く、さらにはブレーキの確認も出来ていない車体では試運転なんて出来るはずもない。
加えてバッテリーも無いので他車から拝借した6Vバッテリーを繋いで再始動を試みた。
エンジンさえかかってくれれば今日の目的は成功と言える。
ガソリンは点滴状態、バッテリーも仮設で
無事エンジンは始動
オーバーフローが問題のキャブレターは相変わらず調子が悪い。
バルブとニードルを極細のコンパウンドで軽く磨けばほとんどの場合、オーバーフローは解消するのだが何度やっても漏れまくる!
それならってことで直接摺り合わせてみたが漏れたり止まったりと埒が明かない。
キャブレター各部のOリングも使い物にならないくらい劣化しているのでオーバーホールキットを購入すると決め、とりあえず再始動だけに専念した。
先週末の再始動できなかった原因をカムギヤの誤組かキャブレターと考えていたので、エンジンを降ろして再度クランクケースを割り、カムギヤやプッシュロッドも再確認したが、キャブレター以外に原因は考えられなかった。
フロートとバルブ
ついでにフロントのブレーキも確認
これはひとつの邪推だが、HONDAの横型エンジンに採用されているキャブレターが年代と共にサイドドラフト型になったのは、単にキャブレターの進化だけでなくダウンドラフト型のキャブレターがオーバーフローした場合にガソリンが燃焼室に直接流れ込んでしまう事を避けるためだったのではなかったか?
実際に横型エンジンに長いL型のマニホールドを使ってサイドドラフト型のキャブレターを付けている車種も多い。
新年早々の3台体制で既に3月も半ばを過ぎた。
初期型XL125の1次コイルの問題は未だに解決せず、先の見えない「プロジェクト C92-R」も遅々として進んでいない。
C92のフロントフォークにSR500の前輪を組み合わせると言う暴挙(?)はうまくいきそうでそうもいかない。
C92の前輪ハブの幅は138㎜、それに対してSR500は148㎜。
この10㎜の差をどうする?!
このまま忘れてしまいたいくらいの大問題なのに、それさえも楽しんでやろうとバカな考えが頭をもたげる。
ここでの10㎜は大きい・・・
試作品のアクセルシャフトは完璧な仕上がり
昨日(16日)の事だが編集長から招集命令がかかり、午前中に十和田観光電鉄の駅舎へ。
解体を待つばかりとなった駅舎に残された木製ベンチ、保存に向けた取り外しと運搬に駆り出された。
前長約5.4mのベンチはおそらく昭和40年頃に作られたもので、 使われていた材料や部材の組み方も時代を感じさせる物だった。
運搬に向けて補強を検討中の編集長
1975年頃に撮影した十和田観光電鉄
市役所職員の「有志一同」によって作業はあっという間に終わってしまった。
自分は階段が封鎖されていた2階のレストランをもう一度見ておきたくて参加したのだが、子供の頃の記憶にあるレストランはもっと広かった。
出来る事なら花巻の旧マルカンデパートのように昭和の雰囲気を残して復活して欲しかった。
そんな無責任な期待をあざ笑うかのように、ベンチの裏側に積もった埃が通路に漂っていた。