憧 憬 の 轍
2023年7月9日 雨が降る
活発な梅雨前線が停滞しているために九州北部や西日本は激しい雨に見舞われている。
川の氾濫や土砂災害などが危惧されている。
線状降水帯と言う単語を日常的に聞くようになる以前から、局所的な大雨は各地に多くの災害をもたらして来た。
そのメカニズムは解明されても根本的に防ぐ方法は無い。
護岸を補強するとか堤防を高くするくらいしか出来ない訳だが、それすらもすぐに出来る事では無い。
いま、我が国はまた別な意味でその姿を変えなければならないのかも知れない。
そしてまた「教訓」と言う言葉が空しく響く。
当初の予報からは明日まで曇天ながら雨の心配はないと思われていた。
事実、朝方はよく晴れていたし、気温も低くはなかった。
本格的な梅雨が始まる前の最後の週末、今日の「昼メシツーリング」の行先を考えていた。
しかし天気はまさに猫の目のように変わり、雨が降ったかと思えば日が差したり、生ぬるい風が吹いたり。
こんな週末は梅雨明けの晴れた日を思いながら様々な準備をするに限る。
『樵の巨匠』は晴れ間を見て長らく預かっていたKAWASAKI FX400改を持ち主の元へ運び、その後はYAMAHA TY175のシフトレバーの改造の準備をしていた。
トライアル競技を前提に作られた車両のシフトレバーはステップからの距離が独特だからだ。
『樵の巨匠』によればFX400改はシーズンオフに再び戻って来るらしい。
幾つかのオイルシールが既に限界を超えていて、特にタコメーターギア/シャフトからはオイルが漏れているため早めに交換する必要があるようだ。
TY175はステップに左足を乗せたまま変速が出来るようなシフトレバーを作るために、中古のBMW用のリンクやタイロッドを使う予定らしい。
’75CB400Fourのオイル滲み対策に入れたNC81の効果を確かめるためにもある程度の距離を走ってみたかった。
朝方の晴れ間はすぐに崩れ出し、暖機を終えた頃には小粒の雨が…。
その後もぐずつく天気に見切りをつけてツーリングの準備をする事にした。
日帰りや1泊程度のツーリングならまだしも、日数が伸びれば伸びるほど心配なのが天気、雨だ。
雨具の携帯は必須だが、それ以上に気を遣うのが荷物を濡らさない事だ。
当然レインカバーはあるがシートバッグの底面やサイドバッグの背面はどうしても防水対策が手薄になる。
これまでの苦い経験から完全防水のシートバッグを使ってみる事にした。
ダイビング用のドライバッグのような素材と構造は確かに防水性に特化したものだったが、バッグ自体をシートに固定するのは付属のゴム製バンドのみ。
さらに最大容量約50ℓの大きな袋でしかない。
荷物を整理するための箱を作ったり、一般的なシートバッグほどではないがバッグをシートに固定するベルトを作ったりしていると時間はあっという間に過ぎてしまった。
この後、カメラや精密機器を入れるためのタッパウェアを用意し、内側にクッション材を貼った。
ツーリングの際に荷物の多くはナイロンの袋に入れてバッグに収納して来たが、このバッグの時は数種類のサイズのタッパウェアを使ってみようと思っている。
すぐに取り出したい小物はタンクバッグを頼る事になりそうだが、小さ目の完全防水のバッグがあれば組み合わせて使ってみたい。
7月1日から道路交通法が変わって電動キックボードが「特定小型原付」としてナンバーが取得できるようになった。
さらに時速6㎞/h以下なら歩道も走れるとか、16歳以上は免許不要でヘルメットの着用についても努力義務。
はっきり言ってもう、「なにがなんだかわかんねぇ」。
さらに2020年の排ガス規制の対象となっていた原付1種のみが2025年まで猶予が認められた事を受けて、普通自動車第一種免許のオマケの原付免許を125ccまでに改正する話もある。
『なにがなんだかわかんねぇ』どころか『ふざけんじゃねぇ』って叫びたくなる。
50ccのスクーターでさえヘルメット着用は義務だし、そもそも実技の教習も試験もないまま乗れる事が発端の事故やトラブルの多さを知らないのだろうか。
今回の道交法改正が今後見直される事が無いとすれば、それは1975年の「中型二輪免許(現在の普通二輪免許)」を制定した「大改正」ならぬ「大改悪」以上のものになる。
交通事故や暴走族の増加を抑止する名目で制定された大改悪はその25年後に改正されるが、交通事故も暴走族も根絶されたわけではない。
いわゆる「貿易摩擦」などの外交的理由が改正の裏側にあった事は明白な事だが、それを真摯に説明した政治家はおそらくいない。
「ナナハン」と言う名のあこがれを25年間にわたってオアズケを喰った世代としては、今回の改正、いや改悪についても複雑な気持ちで受け止めている。
16歳になろうとしていた少年は25年後、40歳になっていた。改正を素直に「朗報」として受け止める事が出来なかったのは、すでにあこがれを忘れてしまった者も少なくなかったからだった。