何かが変わるのか・・・

憧 憬 の 轍

 

2021年10月31日 何かが変わるのか・・・

 

選挙。立候補者の名前を連呼して車が走り去る。

 

名前に投票する訳でもないのに。

 

選挙の度に車を走らせるより本音で政策を討論してもらいたい。

 

近い将来を語ってもらいたい。

 

口角泡を飛ばし目を吊り上げてまでも。

 

今日は衆議院議員選挙の投票日だ。

 

明日から騒音が少しだけ少なくなる。

 

 

 

 

移転先の新しい作業場はかつて衣料品店だった事もあって使い勝手がこれまでとはかなり違う。

 

置いてある物も含めて好きなように手を加えてもいいと言われているので、

遠慮なくやらせてもらっている。

 

まだまだ片付いたとは言えないが、

ちょっとしたバイク屋のようになってしまったのはやはりここが店舗だったからだろう。

 

音や匂いの伴う作業をするスペースを分ける事にした。

 

ただ広いだけの伽藍洞とも言えたこれまでの作業場とは違う。

 

これからは整理整頓だけでなく不要なものは早めに処分する事を常に心がけなければならない。

 

 

 

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ここは「加工場」と呼ぶことにする


               

 

 

 

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まぁ、「サロン」とでも呼んでくれ



 

 

県道との交差点に面し、

徒歩3分以内に肉屋とコンビニエンスストアとフライドチキンが美味い店がある。

 

さらにもう少し足を伸ばせばガソリンスタンドや薬局や郵便局もある。

 

近所の目を気にしなければこれまでの様に外でバーベキューを出来ない事もないが、

しばらくは大人しくしていよう。

 

早いもので明日から11月。

 

次の週末はストーブの設置から始めようと思っている

 

 

 

 

閑話休題 『かわら食堂』の事だけでなく

以前テレビ番組で「日本一安いラーメン」と紹介されていた店があった。

 

四国のどこかだったと思う。

 

ラーメンを1杯180円で提供していたが毎日ではなく月に一度だけだった。

 

ところが八戸市には1年中毎日いつでも180円でラーメンを提供している店があった。

 

もちろんインスタントラーメンではなくチャーシューも入っていた。

 

この『かわら食堂』こそが日本で一番安いラーメン屋だ。

 

いや、だった。

 

馬淵川沿いの河原にある店は建築基準法にも食品衛生法にも抵触していそう(失礼)な処だった。

 

店内は食堂と言うより物置のよう(重ねて失礼)でありながら、

昭和世代としてはどこか懐かしさを感じるものがあった。

 

さらにマフラーに穴の開いたスーパーカブ(再三にわたり失礼)で出前もしていた。 

 

「本当にごくろうさまでした」

 

『スポカブブラザース(弟)』によれば店主の奥様が亡くなられた事もあって、

この8月末で暖簾を下したと言う。

 

これで180円のラーメンだけでなく「かわら丼」も伝説になってしまった。

 

「かわら丼」はラム肉を使った親子丼のような一品で400円だった。

 

同じ八戸市で昨年11月に閉店した『宝来食堂』は昭和45年からメニューも値段も変わらない店で、

ラーメン200円、親子丼350円だった。

 

さらに海鮮丼が格安で美味かった青森の浅虫にあった『ろくさん食堂』も閉店してもうすぐ4年になる。

 

安けりゃいいって話ではない。

 

納得出来る価格と味の問題だ。

 

ともすればラーメン1杯が1,000円もする時代にあって。

 

ところで・・・、下北の『ぬいどう食堂』の母さんもこの夏の終わり頃に体調を崩したらしい。

 

来春はウニの漁期を待って久しぶりにテンコ盛りの生ウニ丼を喰いに行きたいと思っている。

 

曇りガラスの向こうにある明日

憧 憬 の 轍

 

2021年10月24日 曇りガラスの向こうにある明日

 

 

いわゆる野暮用で福島へ向かったのは22日の昼前だった。

 

その後、翌23日の夕方までは時間が自由だったので山形県まで足を伸ばしてみたのは、

趣味と言うかライフワーク的に写真を撮って来た木造校舎が山形県には数多く残っているからだった。

 

時間の許す限り周ってみた。

 

木造校舎もさることながら山形県は温泉の宝庫だ。

 

全ての市町村に共同浴場があると聞いた事もある。

 

最近は銭湯の数も激減し、

関東圏などではトンデモネェ高額な入浴料が当たり前だと聞いている。

 

料金箱に小銭を投げ込んで入れる温泉があるのは日本が火山の多い国で、

常に地震を警戒しなければならない宿命にあるとしてもありがたい事だ。

 

温泉組合の共同駐車場(無料)に車を停めて暖簾をくぐったのは小野川温泉の「尼湯」。

 

入浴料200円也。

 

浴槽と腰掛があるだけの施設だがこれだけで十分だ。

 

 

 

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共同浴場『尼湯』の外観 内部は撮れませんね・・・


    

 

 

 

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これも共同浴場の『滝の湯』



 

 

 

湯に浸かりながら考えたのは木造校舎探しもそろそろ限界かも知れないと言う事だった。

 

自分の体力や使える時間の問題ではなく、

その建物が用途を変えても使われているか否か、

さらには文化財として保護されたものとの差があまりにも大きいと感じるからだ。

 

確かに建てられた当時のままに保存されている建物もあるが、

あまりにもきれいに修復されるとそこに積み重ねた幾星霜が感じられない。

 

 

 

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『旧長井小学校第一校舎』(国有形文化財


        

 

 

 

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交流施設として使われている



 

 

 

さらに現行の法規(建築基準法や消防法など)に合致させるためには大掛かりな工事も必要となる。

 

どれもこれも仕方のない事だと分かっていても探しているのは建てられた当時の姿だ。

 

きれいに仕上げられた廊下や内窓などは当時のものだが古さは感じられない。

 

 

 

 

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2階廊下


                              

 

 

 

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碍子配線 もちろん通電してはいない



 

 

 

所詮は人の手で作ったものなのだから、

いずれは朽ち果てる運命にある。

 

当時の面影を色濃く残したまま少しでも長くの残して欲しいと願うのは単なる我儘なのかもしれない。

 

これまでにただの廃墟、

廃屋と化したものを数多く見て来た。

 

それなら行って見たものの既に解体されて何も残っていなかった方がスッキリする。

 

 

 

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以前は公民館として使われていた


              

 

 

 

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資料の上では「休校中」



 

 

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交流館として使われている


                   

 

 

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既に分校だった事も分からなくなってしまった



 

 

移転先の作業場がこれまでのようになるまで、

もうしばらくの時間が必要だ。

 

数人がテーブルを囲むスペースは何とか作った。

 

レストア作業もしばらくは中断しなければならないが、

これまでとは違った意味で楽しい冬が迎えられそうだ。

 

貴重な週末の時間を割いて引っ越し作業に手伝ってくれる仲間には、

感謝、感謝、感謝。

 

 

もの想う日々

憧 憬 の 轍

 

2021年10月18日 もの想う日々

 

COVID-19の新規感染者数が激減している。

 

原因はまだ分かっていないらしい。

 

ワクチンの接種率を引き合いに話す人もいるが根本的に違う話だ。

 

ぬか喜びするにはまだ早いような気がする。

 

 

 

 

 

作業場を移転する事になった。

 

それに至る経緯は複雑で、

2年ほど前からある程度は予測していた事だった。

 

新しい作業場はかつて衣料品店だった店舗で長い間物置代わりに使われていたらしい。

 

まずは掃除から始め、

人手の要る物をこの週末に移動した。

 

改めて作業場として使えるようになるまではもうしばらくの時間がかかる。

 

それまではレストア作業は一時中断だ。

 

 

 

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バイク屋みたい・・・   


                     

 

 

 

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レストア用のスペース



 

 

西高東低の気圧配置に寒気が流れ込み、

今後の気温は20℃以下、最低気温は10℃を下回る日が続く。

 

今度の作業場ではこれまでのように薪(廃材)ストーブは使えない。

 

暖房対策が喫緊の課題だ。

 

古いFF式の石油ストーブが3台あるので、

壊れたら次々に取り換えてこの冬を凌ぎたい。

 

北東北の山々で初冠雪が見られた。

 

冬の事を考えると気が重くなる。

 

 

 

 

 

不覚極まりない

憧 憬 の 轍

 

2021年10月10日 不覚極まりない

 

ここ1週間のうちに震度4以上の地震が3回、

いずれも太平洋側でおきた。

 

昨日(9日)午後にも青森県岩手県で震度3。

 

日本で暮らしている以上地震とは縁が切れないのだろうが、

こうも頻繁に続くとやはり気にかかる。

 

津波や山崩れだけでなく老朽化したインフラの損傷も生活に大きく影響する事も忘れてはいけない。

 

 

 

 

既に朝夕はストーブが恋しくなるような日々。

 

「南」と言う方角に暖かさを連想してしまうのは北国で生まれ育ったからかもしれない。

 

目的地は約300㎞先だった。

 

高速道路ではないが自動車専用道路を約180㎞南下した時、

覚えた違和感は後輪が左右に振れているような、

あるいは滑っているようなものだった。

 

運よく一般道への連絡道が300mほど先だったので迷わず自動車専用道路を降りて後輪を確認しようとした。

 

そして大きなカーブを曲がりかけた時、

後輪の空気は一瞬にして抜け車体は横を向いてしまった。

 

転倒を免れたのは不幸中の幸いに他ならない。

 

そして潰れたタイヤを引きずるようにゆっくりと移動した。

 

ツーリングに出かける時は最低限度の工具と電球やヒューズ類、

ボルトやビスなども持って出かけるが、

今回はタイヤレバーやパンク修理の道具は持って来ていない。

 

空気の抜け方からパンク修理と言うよりチューブを交換しなければならない状態なのは明白だった。

 

 

見知らぬ街でこんなトラブルに対応してくれるバイク屋を探すなんて・・・、

天を仰ぐ、とは正にこの事だった。

 

仲間に電話をかけまくり、

次の週末までバイクを預かってくれる所を探そうと考えているとバイクを止めた国道の向かい側から一人の男性が声をかけてくれた。

 

実は彼もバイク乗りで近くに馴染みのバイク屋があると言う。

 

電話をかけてから10分もかからずに軽トラックで迎えに来てくれた。

 

若い店主も気さくに話してくれる。

 

どれもこれも偶然が重なった事だがこれを「幸運」と言わずして何と言えばいいのだろう。

 

もし後輪の違和感を軽視して走り続けていたら・・・

  

もし国道の向かい側にいた男性がバイクに興味が無かったり、

あるいはバイクが嫌いな人だったら・・・

  

もし携帯電話がつながらないような場所だったら・・・

  

もしも・・・、もしも・・・、もしも・・・

 

 

およそ1時間後、

再び走り出す事は出来たが目的地を変えて海を眺める事にした。

 

凪に揺れる牡蛎養殖用の筏を眺めながら、

見知らぬ人の好意や仲間たちの行動に感謝するしかなかった。

 

「ありがとう」なんて言葉ではなく、

もっと強く謝意を伝えたいが言葉が見当たらない。

 

 

閑話休題 Happy Halloween

毎日通る道端に気にかかる一軒の家があった。

 

大きなカボチャが並べられて今年もHalloweenが近いと思っていたが、

突然そこに黒装束の魔人が現れた。

 

人形だと気付くまで時間はかからなかったが、

風に揺れるその姿は一瞬、本物の人が立っているようにも見えた。

 

写真を撮らせてもらうために立ち寄ると彼女は魔女の制作に忙しそうだったが、

それでも気さくに、

そして明るく接してくれた。

 

「こんな時代だから、少しでも見る人に楽しんでもらえたら・・・」

 

言うまでも無く本来ChristmasもHalloweenも日本の文化ではない。

 

いつの間にかお祭り騒ぎの代名詞のようになってしまったが、

宗教的な意味を持つ行事だ。

 

大きなカボチャをくり抜いて蝋燭を灯したり、

玄関先に既製品の飾り付けをする光景をこれまで何度も観て来たが、

こんなディスプレイは見たことが無い。

 

 

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Trick or treat」と言って訪ねてみようか? ところで魔女が作っているのはCOVID-19の特効薬?




 

 

「こんな時代だから、少しでも見る人に楽しんでもらえたら・・・」。

 

一番楽しんでいるのはそう言う彼女なのかも知れない。

 

今年のHalloweenに向けて半年がかりでカボチャを育てながら構想を膨らませて来たのだろうと思うと、

そんな人が近所に住んでいるだけで自分も楽しくなるような気がした。

 

 

On this year,I’ll not say “Trick or Treat”.So,I’m looking forward to next year. And I love her.

 

 

 

備え

憧 憬 の 轍

 

2021年10月3日 備え

 

緊急事態宣言も蔓延防止等重点措置も解除された最初の週末、

天候にも恵まれて行楽地の賑わいが伝えられている。

 

それでも多くの人がマスクを付けているのはこのまま収束するとは誰も思っていないからだ。

 

今となってはどこへ行っても当たり前のように置かれている除菌用アルコールやマスクを見かけなくなる日はまだまだ先のようだ。

 

 

 

 

6月に考えられない状態で車検を取得した『チャレンジャーのタカシ』の愛車、

YAMAHA XV400 Viragoは相変わらず調子が悪いと聞いていた。

 

400ccなのに100km/h出ない、

登り坂では80km/hがやっとだとか。

 

それでもタイヤを替えたり何度もキャブレターをバラしてみたりしたものの結果が出ていなかった。

 

 

 

 

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さぁ始めるよ


                           

 

 

 

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相変わらず片側は煤だらけのプラグ



 

 

 

不調の原因はキャブレターしか考えられない。

 

MIKUNI製のダウンドラフトだ。

 

早速バラして総点検開始。

 

まずはガスケットが硬化してパリパリの状態だったのでストックしてあるシートから切り出した。

 

 

 

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ガスケットを切り出すのは簡単なんだけど・・・


       

 

 

 

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簡単じゃなかったのはこの部品



 

 

 

メインジェットにもスタータージェットにも詰まりはない。

 

エンジンの始動性も悪い訳ではないのだから中~高回転域で燃調が狂うと言うか、

適切な空燃比が保てないために片側のプラグが煤だらけなのははっきりしている。

 

調子の良い方の部品と悪い方の部品とを比較してみた。

 

外見上はもちろん同じだがそれぞれの小さな穴からパーツクリーナーを吹き込んで部品内部のバイパス部分を点検してみた。

 

このバイクは長い間車庫の奥で眠っていたため古くなったガソリンがバイパスのどこかに詰まっていても不思議ではない。

 

そして予感は的中した。

 

それにしても厄介な部分に詰まりはあった。

 

これを抜くために煮たり洗浄液に浸したり、

格闘する事約2時間。

 

バイク屋なら間違いなく新しい部品を注文したに違いない。

 

すべてのバイパスに詰まりが無い事を確認しキャブレターを組み直した。

 

 

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ここが詰まっていた


 

  

                    

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組み直しは何回目?



 

 

始動性は相変わらず悪くない。

 

パイロットスクリューを規定値に戻して同調させた。

 

そして試運転後にプラグを抜いてみたが余計な煤は無かった。

 

とりあえず成功?

 

 

 

 

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キャブレターを組み直す『チャレンジャー』


         

 

 

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同調作業中



 

 

 

キャブレターの作業を終えて次はブレーキ。

 

前輪だけが油圧のディスクブレーキだがマスターバッグの小窓から見えるブレーキフルードに透明感は無い。

 

蓋を開けてみると明らかに堆積物が沈んでいそうな色をしていた。

 

もちろんブレーキフルードは全量交換だ。

 

 

 

 

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とてもブレーキフルードとは思えない色


           

 

 

 

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そこにはお約束の堆積物が・・・



 

 

 

海苔の佃煮のような堆積物を取り除き新しいブレーキフルードを入れる。

 

『チャレンジャーのタカシ』によればブレーキが別物になったようだとか。

 

それでも安心するのはまだ早い。

 

フロントフォークやシャフトドライブのギヤオイルとか、

メンテナンスが必要な個所は残っている。

 

10月最初の日曜日は実に作業場らしい慌ただしくも楽しい1日だった。

 

 

ZAPATEADO

憧 憬 の 轍

 

2021年9月26日 ZAPATEADO

 

 

早くも紅葉の便り。

 

今年もバイクの季節がもうすぐ終わる。

 

 

 

過去は知れば知るほど、調べれば調べるほどに分からなくなる。

 

遺跡や遺構の発掘調査はその最たるものかも知れない。

 

今の自分にとって居候=W1はそれに近い。

 

某オークションサイトにメグロK2Fとして出品されている車体がある。

 

1965年頃のものらしい。

 

車台番号(フレームナンバー)はK2F-00***だがエンジンはW1E。

 

ツインキャブレターでキャブトンマフラーだ。

 

K2Fはメグロの500ccだがエンジン型式のW1Eは650cc。

 

クランケースカバーにはKAWASAKIの文字。

 

もしもこの車両がエンジンを載せ替えたものでないとすれば・・・。

 

ところがエンジンには1967年(昭和42年)の居候よりも約1,400番も後の番号が打刻されている。

 

 

 

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目黒K2Fのスピードメーター


               

 

 

 

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居候にも同じスピードメーターが付いている



 

 

さらに見つけた1970年(昭和45年)初年度登録の車両は車台番号がW1F-12***、

エンジンはW1E-60***。

 

居候はW1F-030**でエンジンはW1E-580**。

 

「W1 FILE」には年代ごとの生産台数が載っているのでそれを参考にすれば答えに近づけるのかも知れない。

 

それにしても居候はK2Fによく似ている。

 

 

 

 

『若葉マークのS🔰』は天気が良かったので今日もGB250-Clubmanでコーナリングの特訓。

 

だがその前にタンクに作ってしまったエクボの修理だ。

 

「アバタもエクボ」と言うがエクボにしては大きくねぇか?

 

 

 

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これでもエクボか・・・


                       

 

 

 

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「ひっぱり君」登場



 

 

 

補修跡を指でなぞってみると完璧な仕上がりとは言えないがこの冬に外装の再塗装を考えているらしい。

 

それまでステッカーでも貼っておけ、と言う事になった。

 

 

 

一方『編集長』は作業場の長期待合コーナーにあるHONDA C92のレストアに挑戦しようとしている。

 

多少の欠品部品もあるがC型については『大魔神・O氏』のC92やCS92のレストアの際に使わずじまいでストックしてある部品も少なくない。

 

ただそれよりも先にZEPHYRχの燃調やCS90のオイル滲みを済ませたい。

 

 

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まぁ、こんなモンだべ


                      

 

 

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『編集長』の秘密基地も忙しくなってきた



 

 

 

「秋が深まる」とか「秋晴れ」と言うが、春や夏や冬に「深まる」と言う表現はほとんど聞いた事が無い。

 

さらに「春晴、夏晴、冬晴」も。

 

やはり秋は特別な季節なのかも知れない。

 

 

 

 

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古い写真 1990年12月 Madridにて



 

秋の空

憧 憬 の 轍

 

2021年9月19日 秋の空

 

西日本を縦断するような進路を辿った台風は温帯低気圧に変わり全国的に晴天の一日だった。

 

真夏日を記録した所もあるようだが北国はもうすっかり秋だ。

 

夕方、空を覆う鱗雲を見てもうすぐ日が短くなると思った

 

 

 

 

大魔神・O氏』から電話で「見せたいモノがある」と言われた。

 

最近の彼は右脳と左脳がバーチカルツイン状態で制御不能の一歩手前なのは分かっている。

 

軽トラックに積んだ大きな段ボール箱から出て来た物は・・・。

 

 

 

 

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何を持ってきた・・・?


                      

 

 

 

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中身の一部 これをどうしろと・・・



 

 

 

8月初旬に『大魔神・O氏』と青森まで取りに行ったKAWASAKI W1、

いわゆる居候が白バイだったのではないかと言う話に結論は出ていない。

 

それでも見れば見るほどそう思えて仕方ないばかりかメグロの影が見える。

 

アタマの中がバーチカルツインの彼を冷笑しながらも、

自分のアタマも2ストロークのトリプル=MACHⅢ並みになっていた。

 

暴走する好奇心にブレーキは無い。

 

今では絶版となった書籍やインターネットで情報を集める日が続いている。

 

W1についてバイブルとも言われる「W1 FILE(蔦森樹著)」を何度も読み返し、

カワサキWの誕生から終焉まで(小関和夫著)」を見つけた。

 

いずれもメグロに端を発するW1の変遷や当時のエンジニア達の話が面白い。

 

日本はもとよりアジア最古のオートバイメーカーだった目黒製作所が川崎航空機に吸収合併される経緯とその後について詳しく書かれている。

 

 

 

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「W1 FILE」


                            

 

 

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写真や設計図なども多く掲載されている



 

 

メグロからカワサキに移行する中で外観的な部品だけでなくエンジン内部の構造まで見直されている経緯はさらに興味深い。

 

外国車よりも少しでも早く走れる事だけを考えていたのかも知れない。

 

バイクにとって速さは何物にも代えがたい武器だ。

 

速さを誇る事こそが存在意義を裏付ける唯一の手段とも言える時代だった。

 

遠い昔の話だがKAWASAKI 350SSに乗っていた。

 

400cc以下の中型クラスでは最も高出力で最軽量だった。

 

セルスターターが当たり前の時代にキックスターターのみでマフラーも左右非対称で右側2本に左側1本。

 

同等クラスのSUZUKI GT380は2気筒目を2分割して左右2本ずつだった。

 

350SSはまだしも500SSは脆弱なフレームが災いし「曲がらない、止まらない」と揶揄されたものだった。

 

それでも速さを求めて白煙を撒き散らしていた。

 

 

メグロカワサキに吸収された1964年、

まだ小学校にも入学していなかった自分が当時の業界を知るはずも無い。

 

オートバイに興味を持ちだした頃、既にメグロは無かった。

 

カワサキと聞けば「メグロだべ」と言った親父を何か勘違いしていると思っていた。

 

しかし今、W1の系譜を知れば知るほどそれはメグロ製作所と川崎航空機の歴史であり、

今日のカワサキモータースジャパンの歴史だと言える。

 

そしてこのW1と言うオートバイに特別な、

あるいは特殊な想い入れのある世代がいる事に気付かされる。

 

個人的にはもうこの居候がかつて白バイとして使われた車両だったか否かなどどうでもよくなっている。

 

ただ初年度登録の1967年(昭和42年)に、

ツインキャブレターにキャブトンマフラーの車両が国内向けに出荷されたか否かだけが知りたい。

 

外装部品なら簡単に替える事は出来るがシングルキャブレターをツインにするにはシリンダーヘッドまで変えなければならない。

 

またフュエルタンクにもコックが2つ必要だ。

 

「W1 FILE」にも「カワサキWの誕生から終焉まで」にもメグロを吸収した過渡期の車両にはカタログモデルとは違った車両もあった事が書かれている。

 

輸出用のモデルに使われない残存部品は国内用に使われた。

 

またW1にわざわざKAWASAKI 500K2の部品を装備してメグロの時代を懐かしんだオーナーも少なくないらしい。

 

 

 

 

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フロントフォークにゴムのブーツは無い


            

 

 

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マフラーは1点吊り



 

 

ツインキャブレターのW1S(輸出名W2)が国内販売されたのは1968年3月だが、

「W1 FILE」によればメグロ時代からツインキャブレターの構想はありシリンダーヘッドも試作され、

モーターショウにも出展された記録がある。

 

また1967年当時、

既に輸出用のW2用にツインキャブレターのエンジンも製造が始まっていて「特別仕様」あるいは「スポーツモデル」との位置付けで受注生産品として納車されたと言う情報もある。

 

 

居候のリアフェンダーに着手。

 

本来YAMAHA SR500用に作られたものらしい。

 

ホイールサイズが同じ18インチなので幅だけが問題と思っていたが、

やはり別な車種用の部品だ。

 

結局糸ノコやらルーター

カッターナイフに板ヤスリなどで切った張ったの荒仕事となってしまった。

 

何とか形にはなったが見えない部分は・・・。

 

 

 

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作業状況は他人に見せられません


              

 

 

 

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切片はしばらく保管



 

 

リアフェンダーを仮付けしシートやキャリアも載せてみた。

 

もちろん白バイ用の「書類箱」も。

 

フェンダーの外側に回り込む形状のステーはこれからだが外観的には一段落だ。

 

 

 

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これで終わった訳ではない


                   

 

 

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今年もこんな季節



 

 

明日は敬老の日

そして23日は秋分の日だ。

 

秋分の日を中日として前後3日間の秋彼岸、

スーパーマーケットの店先には切り花や団子が並んでいる。

 

秋の連休とかシルバーウイークとも言われるが、

家に仏壇や墓があると5月の連休のような気分にならない。

 

盆休みがあるのだから彼岸休みがあってもいいような気がする。