秋の空

憧 憬 の 轍

 

2021年9月19日 秋の空

 

西日本を縦断するような進路を辿った台風は温帯低気圧に変わり全国的に晴天の一日だった。

 

真夏日を記録した所もあるようだが北国はもうすっかり秋だ。

 

夕方、空を覆う鱗雲を見てもうすぐ日が短くなると思った

 

 

 

 

大魔神・O氏』から電話で「見せたいモノがある」と言われた。

 

最近の彼は右脳と左脳がバーチカルツイン状態で制御不能の一歩手前なのは分かっている。

 

軽トラックに積んだ大きな段ボール箱から出て来た物は・・・。

 

 

 

 

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何を持ってきた・・・?


                      

 

 

 

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中身の一部 これをどうしろと・・・



 

 

 

8月初旬に『大魔神・O氏』と青森まで取りに行ったKAWASAKI W1、

いわゆる居候が白バイだったのではないかと言う話に結論は出ていない。

 

それでも見れば見るほどそう思えて仕方ないばかりかメグロの影が見える。

 

アタマの中がバーチカルツインの彼を冷笑しながらも、

自分のアタマも2ストロークのトリプル=MACHⅢ並みになっていた。

 

暴走する好奇心にブレーキは無い。

 

今では絶版となった書籍やインターネットで情報を集める日が続いている。

 

W1についてバイブルとも言われる「W1 FILE(蔦森樹著)」を何度も読み返し、

カワサキWの誕生から終焉まで(小関和夫著)」を見つけた。

 

いずれもメグロに端を発するW1の変遷や当時のエンジニア達の話が面白い。

 

日本はもとよりアジア最古のオートバイメーカーだった目黒製作所が川崎航空機に吸収合併される経緯とその後について詳しく書かれている。

 

 

 

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「W1 FILE」


                            

 

 

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写真や設計図なども多く掲載されている



 

 

メグロからカワサキに移行する中で外観的な部品だけでなくエンジン内部の構造まで見直されている経緯はさらに興味深い。

 

外国車よりも少しでも早く走れる事だけを考えていたのかも知れない。

 

バイクにとって速さは何物にも代えがたい武器だ。

 

速さを誇る事こそが存在意義を裏付ける唯一の手段とも言える時代だった。

 

遠い昔の話だがKAWASAKI 350SSに乗っていた。

 

400cc以下の中型クラスでは最も高出力で最軽量だった。

 

セルスターターが当たり前の時代にキックスターターのみでマフラーも左右非対称で右側2本に左側1本。

 

同等クラスのSUZUKI GT380は2気筒目を2分割して左右2本ずつだった。

 

350SSはまだしも500SSは脆弱なフレームが災いし「曲がらない、止まらない」と揶揄されたものだった。

 

それでも速さを求めて白煙を撒き散らしていた。

 

 

メグロカワサキに吸収された1964年、

まだ小学校にも入学していなかった自分が当時の業界を知るはずも無い。

 

オートバイに興味を持ちだした頃、既にメグロは無かった。

 

カワサキと聞けば「メグロだべ」と言った親父を何か勘違いしていると思っていた。

 

しかし今、W1の系譜を知れば知るほどそれはメグロ製作所と川崎航空機の歴史であり、

今日のカワサキモータースジャパンの歴史だと言える。

 

そしてこのW1と言うオートバイに特別な、

あるいは特殊な想い入れのある世代がいる事に気付かされる。

 

個人的にはもうこの居候がかつて白バイとして使われた車両だったか否かなどどうでもよくなっている。

 

ただ初年度登録の1967年(昭和42年)に、

ツインキャブレターにキャブトンマフラーの車両が国内向けに出荷されたか否かだけが知りたい。

 

外装部品なら簡単に替える事は出来るがシングルキャブレターをツインにするにはシリンダーヘッドまで変えなければならない。

 

またフュエルタンクにもコックが2つ必要だ。

 

「W1 FILE」にも「カワサキWの誕生から終焉まで」にもメグロを吸収した過渡期の車両にはカタログモデルとは違った車両もあった事が書かれている。

 

輸出用のモデルに使われない残存部品は国内用に使われた。

 

またW1にわざわざKAWASAKI 500K2の部品を装備してメグロの時代を懐かしんだオーナーも少なくないらしい。

 

 

 

 

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フロントフォークにゴムのブーツは無い


            

 

 

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マフラーは1点吊り



 

 

ツインキャブレターのW1S(輸出名W2)が国内販売されたのは1968年3月だが、

「W1 FILE」によればメグロ時代からツインキャブレターの構想はありシリンダーヘッドも試作され、

モーターショウにも出展された記録がある。

 

また1967年当時、

既に輸出用のW2用にツインキャブレターのエンジンも製造が始まっていて「特別仕様」あるいは「スポーツモデル」との位置付けで受注生産品として納車されたと言う情報もある。

 

 

居候のリアフェンダーに着手。

 

本来YAMAHA SR500用に作られたものらしい。

 

ホイールサイズが同じ18インチなので幅だけが問題と思っていたが、

やはり別な車種用の部品だ。

 

結局糸ノコやらルーター

カッターナイフに板ヤスリなどで切った張ったの荒仕事となってしまった。

 

何とか形にはなったが見えない部分は・・・。

 

 

 

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作業状況は他人に見せられません


              

 

 

 

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切片はしばらく保管



 

 

リアフェンダーを仮付けしシートやキャリアも載せてみた。

 

もちろん白バイ用の「書類箱」も。

 

フェンダーの外側に回り込む形状のステーはこれからだが外観的には一段落だ。

 

 

 

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これで終わった訳ではない


                   

 

 

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今年もこんな季節



 

 

明日は敬老の日

そして23日は秋分の日だ。

 

秋分の日を中日として前後3日間の秋彼岸、

スーパーマーケットの店先には切り花や団子が並んでいる。

 

秋の連休とかシルバーウイークとも言われるが、

家に仏壇や墓があると5月の連休のような気分にならない。

 

盆休みがあるのだから彼岸休みがあってもいいような気がする。