After days of CB400Four
越 冬 日 記
diary 7
2015年1月25日
1月最後の週末。幸いに雪が少ない。
確か昨冬は一晩に数十センチ降った事が2度あっただけに
まだまだ気が抜けないが、このまま春になって欲しい。
スポークとタイヤ交換を終えたCB50改に代わって
作業場に鎮座しているのは、
実はタイヤが既に限界を超えている。
スポークやリムはリストアした時に新品に交換したが
大人の事情でタイヤを後回しにしてきた。
3.00-16なんてタイヤ
今では使われている車種が少な過ぎて選択の余地無し!
本人はホワイトリボンのタイヤを御所望のようだが
国産品では見つからなかった。
外国製のモノはエライ値段だったり適応サイズが無かったりで
結果はまたしてもDUNLOP製。
やはり独特の存在感がある スポークも調整し直して新しいタイヤ装着
フェンダーの形状を考えて後輪を先に交換 スポークもリムもタイヤも新品
タイヤと共に懸念事項だったキャブレター。
KEIHINのPW18と言うこれまた特殊(?)なキャブレター。
「PJシステム」なる機構を備えているのだが・・・。
キャブレター本体とシリンダーヘッドを連結する
インシュレーター部分に燃料を溜めて
メインジェットの最大量を超えた時に補助的に燃料を補給する
と言う理屈らしいのだが私の手に負えるシロモノではなかった。
PJシステムはPower Jet Systemの略称らしく
その後の同系列のキャブレターに採用されていない事から
当時の、いわゆるメーカーとしての「試験的な挑戦」
という見方もある機構らしい。
最近のキャブレターには三番目のジェット
すなわちPower Jetを備えたものも多くあり
250ccでひと昔前の400cc並みの馬力を絞り出している。
私ごときが言うのもおこがましいが
当時の日本工業界の探究心に改めて敬意を表するばかりだ。
KEIHIN PW18/PJ インテークに設けられた窪がPJシステム
今やクルマもバイクも気化器はインジェクションのみになり
さらにプログラムで排気と共にコントロールされていると思うと
キャブレターは「愛すべきアナログ」のひとつだ。
前置きが長くなってしまったが
PC18用のメインテナンスキットを流用し
PJシステムを無効にするための細工をして組みなおしてみた。
エンジンの始動性や吹け上がりには問題は無いが
走らせてみないことには結果は出ない。
次の週末にでも道路に雪が無ければ試運転?・・・本気?
昨年末からリアサスペンション待ちで片足立ち(犬のションベンとも言う)
のTLR200をよそに
待ってましたのCB400Fourのスポーク張替え。
今回のブログの初日に
まずはCB400Fourのスポーク張替え・・・みたいなことを書いた記憶がある。
それにしても「車輪三昧」の1月だったな~。
結局磨き直したにもかかわらず錆びてしまったスポークを
一本ずつ外しながら思い出すのはこのバイクをリストアしていた頃の事。
つい4~5年前の事ながら妙に懐かしく感じる。
キャブレターと共にスポークも
「愛すべきアナログ」のリストに加えなければならない。
私たちが生まれ育った昭和30年代から40年代。
携帯電話もパソコンもインターネットも無かった時代。
今にして思えばその後の日本に影響を与えたような事件も多く起っていた時代だった。
そんな時代を懐かしく思うのは
単に歳をとっただけかもしれないが
もう一度あの時代に戻ってみたいと思うのは私だけではないように思う。
「今の時代の子供たちにあの時代を体験させたい」と言う旨の
いわゆる親心は理解できるが所詮デジタル世代の子供たちにとっては
退屈極まりないだろう。
むしろあの時代を体験してきた私たちの世代こそが今と言う時代
そしてこれからの時代を考えるために戻ってみるのはいかがなものだろう。
アミューズメントパークに出かけたり
何かのイベントに参加したりするような気分で
一時的な非日常として数日間だけ戻ってみる機会があればいいと思う。
「たまには温泉にでも行ってのんびりして来るか・・・」みたいな気持ちで。