憧 憬 の 轍
2015年8月30日 天高く馬肥ゆる秋、鉄馬はひたすらに地を駆ける
「盆を過ぎれば」、とか「ねぶたが終われば」、
とよく言うが朝夕の涼しさは秋そのもの。
これからは日も短くなる一方、
涼しさはすぐに寒さに変わると思うと淋しさを禁じえない。
それでも秋は豊穣の季節だ。
ここのところおとなしくしていた(?)
ジャミフレンズことタカ&KENの企画によって、
今年最後の生ウニを喰いに行こうと言う計画が持ち上がったのは8月初旬。
漁協によって漁期は違うらしいが
ウニが不漁だった場合の腹案に
岩手短角牛の焼肉まで引っ張りだして
このツーリングを盛り上げようとするKENだったが
この日は体調不良で不参加。
最近は「ジャミフレンズ」と言う呼び方よりも
「ウンガラモンガラのKEN」と「フンカモンカのタカ」
と呼ばれる事の多い二人だが、
相棒の不参加にフンカモンカは茫然自失の状態。
集合時刻の10分前に参加メンバーは全員揃っている。
にもかかわらず姿を見せないフンカモンカのタカに
苛立ちを募らせながらも、
それぞれの愛車談義に盛り上がる参加者達。
遅刻しながらも悪びれた様子も無いフンカモンカに
更なる苛立ちを募らせるが、
それが無意味な事は皆が知っている。
「自称50cc」から1000ccまで8台。ウニ不漁のため
行き先を久慈市に変更して無差別級ツーリングの始まりだ。
途中、南郷の「山の楽校」のヒマワリ畑に立ち寄る。
年々本数を増やし今年は200万本!
大幅に本数を増やしたとの情報に期待していたが
残念ながら見頃を過ぎていた。
残念といえばさらに残念だったのはC92で御馴染みの
突然の電気系トラブルで出走できなくなってしまった事。
そしてBMWR1000RのタッチャンことN氏も
北海道遠征から帰ったばかりで参加できなかった事だ。
「ひまわりの小径」ってか 1972年、古いなぁ 連作障害を防ぐためか、昨年はここが蕎麦畑
イタリアとドイツのヨーロッパ勢に勝負をかけるはずだった我らがジャパン、
カブリ気味なのは2st将軍のNSR50改(もはや“改”過ぎてなんだか分からない)
も同じ。
日曜日とは言え参加メンバーもそれぞれの大人の事情で
「山の楽校」から4台が帰路に付く。
巡航速度が少々上がって2st将軍もH氏も少々走りやすくなったが、
フンカモンカのタカは完全に金魚のウンコ状態に。
「怖い」と言いながら編集長もけっこうなハイペースで一路岩手県へ。
参加者集合! いないのは誰だ? 蕎麦で宴会状態
現在は緑地区公民館として使われている。
平家の落人伝説の残る島守地域は難読地名のオンパレードでもある。
「泥障作」と書いて「あおづくり」とか。
この緑小学校も1902年(明治42年)の開校時の名称は
「島守小学校不習分教場」だった。
不習と書いて「ならわず」と読む。
人口の増加と共に児童数も増え昭和32年に小学校に昇格するが、
当時の校長が「地名ながらも学校なのに“習わない”のはいかがなものか」
と緑小学校に改名したらしい。
給食のための調理室が残っている事や
穴だらけの外壁がこの地域に流れた時間を無言で語っているようだ。
大きな鍋で何を作っていたのだろう? 今は公民館として使われている
言い訳がましい話だがこの小学校が見たくて古い地図を見て先導した結果、
久慈市までの道を間違えてしまった。
すぐに気付いたものの思わぬタイムロス。
それでも水を得た魚のごとく
アクセルを開けようとする鬼殺しのチュウと2st将軍は
意に介さずと言った様子。
「山の楽校」で別れた4台が帰宅した頃、
フンカモンカご一同様は予定通りに牧場直営の焼肉店に到着。
先週、下見がてらに来店したフンカモンカのタカは一瞬、
肩の荷が降りたかの様だったが
究極の金魚のウンコ状態!
明日から9月。
ゴールデンウイーク並みの連休もある。
「今シーズンの締めくくり」に
次のツーリング計画を話し合いながら夜は、
いや夕方からの「反省会」が終了したのは
日付けが変わった午前1時頃だった。
いろんな意味でご苦労様でした。
それにしてもチュウさん、
約3合の日本酒と発泡酒、ワインとを正に水の如し。
その肝臓は前世が鮫じゃないかともっぱら巷のウワサです。