憧 憬 の 轍

憧 憬 の 轍
 
 

2015年9月19日 Eaglesを聴きながら

 
 

Desperado, why don’t you come toyour senses? 

 

この歌いだしで始まる1973年のEaglesの名曲。

Desperadoデスペラード)は邦題が「ならず者」。
 
だけど・・・歌詞の内容からしてこんな乱暴なタイトルに訳した人こそ
 
「ならず者」じゃないの?(失礼しました)
 
多くの国の言語で訳されたり歌われたりしているこの曲が、
 
どんなタイトルで紹介されているのかを後で調べてみたいと思っている。
 
 
 
 
 
実は先週の日曜日(913日)、
 
航空際の賑わいを背にして岩手県は野田村へ。
 
悪天候のためブルーインパルスは飛ばなかったものの、
 
米軍のMV22オスプレイが地上展示され、
 
機体内部の見学は長蛇の列で1時間待ちだったとか。
 
 
岩手県も決して天気は良くなかったが帰り道、
 
県境を越えた途端にゲリラ豪雨! 
 
そして雷。
 
濡れ鼠状態で帰って来る事になってしまった。
 
そして1週間後の今日、
 
再び野田村を訪れたのは苫屋の主人が山菜取り用に使っていた
 
トライアルバイクを引き取るためだ。
 
「林道が整備されないままで、もうバイクで走れる状態じゃないから・・・」
 
と彼は寂しそうに言った。
 
彼もまたバイクを愛し自然を愛する人だ。
 
3年の月日を費やしてリストアを終えたCB400Fourが走り出したのを見て
 
最も喜んでくれた一人でもあり、
 
同年代の、同じ時代を過ごした友人でもある。
 
 
そんな彼が乗っていたバイクを
 
何時でも走れる状態にしておけないかと思った。
 
 

イメージ 1  イメージ 2

かすだけなら出来そうだが・・・                   ナンバーの取得までは問題山積

 
野田村の「苫屋」について少々説明しておかなければならないと思う。
 
苫屋は築150160年の曲屋を改装した茅葺の宿泊施設で、
 
最低限の改装にとどめているため
 
囲炉裏や鑓鉋(やりかんな)の跡が残っている梁も当時のままの、
 
いわゆる古民家だ。
 
真夏の短期間以外は常に囲炉裏に薪がくべられている。

 
最近はNHKをはじめ、民放の番組や雑誌でも紹介される機会が多く、
 
何と言ってもインターネットの普及と共に
 
「手紙で予約しなければならない宿」とか
 
「一度は泊まってみたい宿」と紹介される事が多くなった。

 
事実、苫屋には電話が引かれていない。
 
すなわちインターネットも無い。
 
携帯電話の電波もほぼ圏外で、郵便以外の通信手段は無い。

 
そんな苫屋がマスメディアの取材に応じるのは宿のPRのためではなく、
 
村のPRのため、
 
村の復興の一助となればと考えている事を私は知っている。

 
 
私がこのブログに苫屋の事を書き記す事は
 
彼らの意に反する事かもしれないが、
 
東日本大震災からの復興の意味を考えるとき、
 
是非とも訪れてもらいたい場所のひとつだ。

 
東日本大震災の記憶も月日と共に少しずつ薄れている。
 
そんな中、阿蘇山は噴火し、鬼怒川は氾濫した。
 
新しい災害のニュースが次々に報じられる。
 
災害によって止まってしまった時間はそ
 
こで暮らす人間の力でしか再び動かす事が出来ない。