昭和


憧 憬 の 轍



2017429日 昭和

 

 

 『激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、

 

国の将来に思いをいたす国民の祝日』と位置付けられている今日、

 

昭和の日。

 

昭和中期に生まれた者としては「天皇誕生日」と言う名称に馴染みが深い。

 

昭和64年(1989年)17日の昭和天皇崩御の後、

 

天皇誕生日として祝日であった429日は

 

生物学者であり自然を愛した昭和天皇を偲ぶ日」として「緑の日」となった。

 

しかし実際に制定された法律に

 

昭和天皇を偲ぶという趣旨は盛り込まれていなかったため、

 

「昭和の日」に改称する案が超党派から数多く出され、

 

数度の廃案の末、

 

平成19年(2007年)から429日を「昭和の日」、

 

54日を「みどりの日」と定める事になった。

 

この経緯が「昭和の日」と「みどりの日」を勘違いさせる原因だが、

 

祝日の名称さえ紆余曲折を孕んでいた事も、

 

ある意味において昭和らしいと言えるかもしれない。

 
個人的にはもうすぐ終わろうとしている平成の時代にあって、
 
自分が生まれ育った「昭和」と言う時代の激動を再認識する日だと思っている。
 
 
 
 

 友人と南三陸町へ遊びに行っていたサンちゃんことS氏が帰ってきた。

 

高速道路の分岐を間違えるアクシデントもあったが

 

トラックにバイク2台とディンギーまで積んで。

 

その“お土産”ではないが「待合室」に新たな1台がやって来た。

 

 

イメージ 1  イメージ 2

またしてもBAJA MD22                          走行距離79,000㎞以上のツワモノ

 

 

 もうすぐメンテナンスの終わる『林道1号』、

 

ヒロさんことT氏のXLR250R-BAJAと同型だがフレームナンバーは少々若い。

 

すなわち少々古い。

 

サンちゃんことS氏の友人はかつてこのバイクをインドまで送り、

 

その後およそ半年かけてヨーロッパを走り回ってきたのだとか。

 

「たまにエンジンをかけていた」らしいが

 

トリップカウンターの数字は ほぼ80,000㎞。

 

走行距離もさることながら穴の開いたエキパイや

 

オイルが滲んでいるシリンダーヘッド周りを見る限り、

 

もう一度走らせるなら全バラ決定だ。

 

イメージ 3  イメージ 4

エキパイは再生不能                              この滲み具合はマズイなぁ

 

 タンクのデカールこそ欠品のようだが消耗部品はまだ容易に手に入るので、

 

早めに再生作業にかかった方がいいと思っている。

 

 

 フロントフォークのオーバーホールを終えた『林道1号』は

 

リフトから降ろされて試運転。

 

ステムベアリングとレースに少々不安が残るが

 

しばらくはこのまま走ってみる事になった。

 

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フォークオイルを入れて・・・                         試運転開始!

 

 レストア、Re-store。回復とか修復とか復活とか、

 

そういった意味の英語。どのレベルまで、

 

なのかが難しいところ。

 

ボルトやナットまで純正の部品で新車当時の状態に戻さなければ気の済まない者もいれば、

 

とりあえず走ればいいと言う者もいる。

 

純正部品には拘らないが出来るだけ当時の姿で、と言う者もいる。

 

さらに部品としての機能が疑わしい物でも、

 

いわゆる「当時モノ」を欲しがる者もいる。

 

 カスタム、Customも同じだ。

 

外見はそのままに性能を向上させることにしのぎを削る者もいるが、

 

原型が分からないくらい手を付ける者もいる。

 

それでも僅かに車種を判別できる部分を残すことに拘る者もいる。

 

きっとバイクと言う機械は持ち主の、

 

乗り手の思いが色濃く表れる乗り物なだと思う。

 

 

 

閑話休題 

 このブログについて少し誤解があるようなので、

 

今さらながら開設の経緯を記しておこうと思う。

 

開設日は2012131日ながら、

 

1回目の「Days of CB400Four」の記事は2010年の4月某日となっているので、

 

およそ2年の時差がある。

 

当初、編集長は自社(建設業)のホームページを開設し、

 

その一端に自分のプライベートを綴った。

 

それと並行して彼も大好きなバイクをいじくり回して喜んでいる一団がいて、

 

ちょうど1964年型の某90㏄のレストアに着手しようとしていた頃だった。

 

旧車大好きの編集長は当時、二輪免許も持っていなかったにもかかわらず、

 

「免許取ったらこのバイクを譲ってもらえますか」って真剣なまなざし直訴し、

 

それを「冗談だべぇ」と笑っていた私と「樵の巨匠」だったが、

 

およそ一月後