憧 憬 の 轍
2018年8月12日 戒
台風のニュースと天気予報から目が離せない。
北国に暮らす者は台風や大雨がもたらす被害に対して危機感が薄いように思える。
昭和中期生まれの世代にとって、
初めて経験した大きな災害は昭和43年(1968年)の十勝沖地震だったと思う。
崩壊した建物や目前で見た地割れは衝撃以外の何物でもなかった。
長引く停電や断水。
当時、自分は小学生で学校は1週間ほど臨時休校した。
繰り返す余震が不安を増長させた。
そして43年後の東日本大震災。
あの時、比較冷静に行動できたのは
十勝沖地震の記憶があったからだと思っている。
負の経験や記憶は伝えられなければならない。
経験したものには伝える義務がある。
昨日から、いわゆる「盆休み」だが
仏壇のある家では休みどころか普段よりも忙しい。
オマケに仏教徒の習慣に関係のない民族を相手に仕事をしているので、
この時期を休みだと思ったことがない。
昨日の事だが墓の掃除に出かけ、
受けた電話は「もしもし」ではなく「Hello」だったし。
特攻隊長も編集長も忙しい中にもかかわらず
盛夏を思わせる好天に黙っていられない。
特に編集長は3週連続不調だったGB250の調子も気になるところだ。
途中の道の駅で
奥入瀬気流の魅力は流れの静と動かもしれない
こんな流れも
こんな滝も
行こうと思えばいつでも行ける所は
その魅力に案外気が付かないでいる事が多い。
改めてそこにある自然の豊かさを教えられたような気がした。
確かに一時期に比べれば訪れる観光客は少ない。
しかしそれが問題なのは“商売”として捉えるからであり、
自然を守りつつ観光と言う商売を維持する事を考えると、
自ずとバランスを考えなければならなくなる。
それは単に数の問題ではなく「自然との接し方」でもある。
旧道の瞰湖台を訪れる人は少なくなった。
トンネルが開通する前は子ノ口から休屋へは
遊覧船で渡るか瞰湖台を通るしかなかった。
私と編集長は子供の頃を思い出していたが
地元生まれではない特攻隊長はひたすらに
ヘアピンカーブの続く旧道を攻めていた。