栄枯盛衰 盛者必衰の理

憧 憬 の 轍

 

2021年8月8日 栄枯盛衰 盛者必衰の理

 

IOCの会長が公的な場で日本国民を中国国民と言い間違えてからそろそろ1ヶ月になるが、

今度はIOCの公式チャンネルで銅メダルに輝いた日本人の体操選手を、

「中国代表」と誤って紹介し中国国旗まで付けていた。

 

いずれもすぐに訂正されたが穏やかな話ではない。

 

JOC組織委員会が正式に抗議したと言う話も聞こえてこない。

 

それぞれに立場があるのは分かるが笑えない話だ。

 

 

 

 

 

今日は東京オリンピックの閉幕式だが作業場はそれどころではない。

 

今回の居候はカワサキ

 

KAWASAKIではなくカワサキのW1、

いわゆる「ダブワン」だ。

 

初年度登録は1967年、(昭和47年)の「漢・カワサキ」だ。

 

作業場に到着する前から写真を見て気になっていたのはこれまでに何度か見て来たW1とは明らかに違う部分が幾つもある事だった。

 

改めてW1について調べてみると、

これまでに見て来た車体はW1SまたはW1SAだった事を知った。

 

そして現在のKAWASAKI(カワサキモータースジャパン)の歴史と、

メグロ(目黒製作所)が1964年に吸収合併される経緯や当時の販売状況も知った。

 

カワサキメグロSG250(1964~1969年)はまさにカワサキメグロの過渡期のバイクだ。

 

発売当時はカワサキメグロだったが2年後にカワサキSG250となりメグロの名前は消えてしまう。

 

W1もメグロK2のエンジン(496cc)をベースに開発され1966年にカワサキ650―W1として発売された。

 

そして1971年のW1SAと比べてみると全く違う車種と言えなくもないくらい細部が変更されている。

 

 

 

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カワサキメグロSG250の最終型にはメグロの3文字


   

 

 

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メグロ・ジュニアは日本初の250cc

 

 

 

さらにW1について調べてみると初期型のフロントフォークには蛇腹状のブーツが装着されている車両が多いがこの車体には無い。

 

またスピードメーターもヘッドライトに組み込まれたデザインでタコメーターは無い。

 

タイヤサイズに関しても諸元と違っている。

 

前のオーナーが意図的に手を加えたのでなければ、

メグロ」の3文字がどこかに書かれているような気がしてくる。

 

 

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スピードメーターはヘッドライトに組み込まれている


    

 

 

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1968年型650W1 メーター類はヘッドライトと別体



 

 

W1の系譜やメグロについて調べているうちに興味深い記事を見つけた。

 

1964年の東京オリンピックの際に聖火ランナーを先導した白バイはメグロ スタミナKP。

 

その車体は今も現存していて群馬県の「浅間火山博物館」で保存されている。

 

白バイだけに真っ白に塗装されているが細部を見ると今回の居候とは似ている部分が多い。

     

  

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メグロ スタミナKPは後にカワサキ500KP2として白バイに採用された



 

 

 

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KPの原型メグロ スタミナK1


                  

 

 

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カワサキと言うよりメグロと言うべきかも・・・



 

 

 

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このエンブレムもカワサキ-メグロ時代の形


         

 

 

 

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スピードメーターの側にはAMPメーター



 

 

 

現在のバイクは一般的にシフトレバーが左側にありブレーキペダルが右側にある。

 

しかしこのW1は逆で、いわゆる「右チェンジ」だ。

 

目黒製作所は1924年創業の日本、

アジア最古のオートバイメーカーだが、

車両制作にあたっては英国車を範としていた。

 

そのため社名が消えてもメカニズムは継承されたのだが、

1971年の北米輸出対策でシフトレバーは左側でなければならなくなり、

リンクを介して左側に移された事は有名な話だ。

 

 

 

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後輪のブレーキは左側 


                    

 

 

 

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シフトレバーは右側



 

 

 

かつて日本には283社ものオートバイメーカーがあったと言う。

 

現在は誰もが知っている4社だけだが。

 

多くのメーカーが町工場のような所で自転車のフレームに小型のエンジンを載せただけの車両を作っていた。

 

クランクシャフトに取り付けたゴムのローラーで直接リムを回していたものもあった。

 

イギリスやドイツでは600社以上、

フランスやイタリアでも500社以上あったらしい。

 

1馬力にも満たない非力なエンジンでも人を乗せて走る事が出来たり、

あるいはリヤカーを引いて荷物を運ぶことが出来るだけで良かった時代は遠い過去の事だ。

 

残念ながらその足跡の多くは残されていない。

 

試行錯誤を繰り返して技術は進歩した。

 

そして今、レシプロエンジンは電動モーターに替わろうとしている。

 

近い将来、キャブレターが付いたバイクは博物館でしか見られなくなると思う。

 

まぁ、そんな日が来るまで生きていられるとは思わないが・・・。

 

 

古い話だが若い頃にKAWASAKIのMACHⅢを買った時の事。

 

親父から「どこのバイクだ」と訊かれ、

カワサキだと答えると「あぁ、メグロか」と言われた。

 

当時、カワサキメグロの関係をほとんど知らなかった私はタンクを指さして「KAWASAKIって書いてるべ」と言ったが、

横文字に疎い親父はそれを見もせずに「だからメグロだべ」と言ってヘルメットも被らずに乗って行ってしまった。

 

既にヘルメット着用が義務化されていたが昭和ヒトケタ世代には法改正などどこ吹く風で、

警察官に注意されたが「知らねがった」のひと言で済まされたらしい。

 

もしも親父がまだ生きていてこのW1を見たら何と言っただろう。

 

「やっぱりメグロだべ」と言ったに違いない。

 

 

 

 

ところでHONDA JC58にフィッシュテールのマフラーを取り付ける作業は試行錯誤の末に何とか一段落した。

 

マフラー本体が思いのほか重かったため今後、

ブラケットの補強が必要になるかもしれない。

 

電気配線用の鋼管で作った連結用の部品と純正のエギゾーストパイプやマフラーの間にはグラファイト製のテープを巻いてガスケット代わりにした。

 

ただマフラーバンドは気に入った物が見つからず今回は簡易なものだ。

 

 

 

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グラファイトのテープ 安価だけど脆い


           

 

 

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で・・・、こんな事になったとさ



 

 

話が前後するが今回の居候、

KAWASAKI 650W1について調べる中で、

目黒製作所が最初に完成させたZ97と言うモデルの写真を見つけた。

 

古い写真なので細部までは見て取れないがマフラーだけははっきり分かる。

 

このZ97の約20年後にJC58は発売されるがJC58も少なからず英国車の影響を受けている。

 

大魔神・O氏』が側にいたら「なるほどね」と言いたくなるような写真だ。

         

 

 

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1937年製 メグロZ97型 OHV498cc単気筒 11馬力 総生産台数:約850台



 

 

Z97は英国車Velocetteのレーサー、

KTTを参考にして作られたらしい。

 

排気量1ℓあたり20馬力そこそこの出力でも当時は誇らしいものだったはずだ。

 

 

アテにならないと言いながらも天気予報が気になる。

 

明日からは雨の日が多く気温も下がるようだ。

 

COVID-19のために今年もねぶた祭りは中止になったが、


「ねぶたが終わればもう秋」、今年もそんな季節になった。