憧 憬 の 轍
2021年8月29日 曲折の向こうへ
日中はまだ夏を思わせる気温でも夜になると涼しい。
開け放った窓の外では鈴虫が泣いている。
今年もそんな季節になった。
「過去最多の感染者数」とか「大規模クラスター」とか、
ニュースや新聞を見る度に目にする言葉に辟易としている。
行政の責任を問う声は日増しに強くなっているが、
個々の責任を問う方が先のような気がする。
W1の前輪のフェンダーは何とか取り付け、
ステンレス製のパイプ材でステーを作る算段をしている。
バーナーで熱してベンダーに掛ければ加工しやすいと思うが変色が心配だ。
さらに後輪のフェンダーにはまだ手を付けていない。
相変わらず呑気な作業を続けているのは来春に車検を受けると決めたからだ。
そしてW1P(白バイ)だった確証が掴めない事の方が気になって古い書籍を捲っている。
ただ今日はW1の作業を一時停止し、
先日から再び走り始めた‘75 HONDA XL125K2の点検だ。
オーナーの『大魔神・O氏』によればL125SEエンジンとL125Eエンジンの違いは驚くほどだと言う。
ただ高速域での伸びがイマイチ悪い事があるらしい。
さらにタコメーターに付いているTURNのパイロットランプが点かないとの事だった。
パイロットランプは単なる球切れだと思ったが原因はソケットに発生した錆だった。
ソケットは止水用のゴム製ブーツも劣化が激しい。
錆の処理だけでなく近いうちに交換しなければならない。
さらに振動を吸収する目的で付いているクッションも硬化している。
このL125SEエンジンは部品取りに貰って来た物だった。
スプロケットカバーがその当時から無かったのか再生過程で紛失したのかは未だに分からない。
幾つかのオークションや中古部品市場を漁った結果、
やっと見つけたスプロケットカバーは珍しい物だった。
どうやら輸出用の初期の物らしく、
先端にクッションの付いたポールがカバーの裏側にある。
そして表側にはシフトパターンの表示がない。
北米輸出用のパーツリストを見るとこのポールが付いた物と付いていない物が描かれていたが、
国内用のパーツリストにポール付きのカバーは描かれていない。
高速域での伸びが悪い事については考えられることが幾つかある。
キャブレターのセッティングに当たって以前のL125Eの時のデータを基にしたため、ジェット類の選択を考え直す必要があるかも知れない。
そんな事よりも心配なのはオイルの供給ラインに何か問題があって焼き付きかけていた可能性も捨てきれない事だった。
L125SEはL125Eの欠点を補う様に各部が見直されているが、
オイルポンプは同じものが使われている。
再始動後初めてのオイル交換と数種のジェット類を持って次の週末は少し長い距離を走ってみようと思っている。
「W1 FILE」と言う1986年第1刷発行の書籍を見つけた。
あとがきによればメグロK型からKAWASAKI W1について3年がかりで調べた、
データ解析のような1冊だった。
1960年から1974年までの生産台数やフレームの図面まで掲載されている。
そんな中、錆だらけのW1が某オークションに出品された。
書類上の初年度登録が昭和45年(1970年)のポリスモデルで、
欠品部品も多い。
作業場の居候は昭和42年初年度登録なので3年後に作られた事になる。
フレームナンバーもエンジンの番号も公開されていたので今後、
居候の正体に迫る手掛かりになりそうだ。
次の週末は早くも9月。
気持ちよく走れる日数のカウントダウンが始まる。