憧 憬 の 轍
2022年8月15日 諦めの夏
終戦の日。
1945年の今日、昭和天皇はいわゆる玉音放送で戦争の終結を宣言した。
それから77年、日本は実質的な戦争をしていない。
それはある意味で誇らしい事だが反面、「平和ボケ」と言われる状態を生んでいるのかも知れない。
第二次世界大戦が終結した日を8月15日としているのは日本と韓国だ。
ヨーロッパでは5月8日が一般的で、アメリカ、ロシア、中国、さらに台湾までもが9月2日、または3日としている。
それぞれの国や地域によって終戦の意味は違うが、戦争の記憶は語り継がれる。
それは単なる勝敗ではなく長く尾を引く遺恨でもある。
COVID19の感染者が再び急増したり、東北地方北部を襲った大雨の事もあって、今年の盆休みもまた例年とは違ったものになった。
天気も安定しない。
それでも『樵の巨匠』は帰省した孫の姿に目尻を下げながらガレージでC200の前に座っていた。
近々に持ち主のもとへ帰す予定なので電装系を確認していた。
まずヘッドライトをはじめフラシャーなどの電球はほぼすべて切れている。
6vの電球は需要が少なくなっているため入手が難しくなっている。
さらにフラッシャーは点灯させると異常に明るくすぐに切れてしまう。
おそらくはセレンの異常と考えてストックしておいた物に替えてみた。
灯火類の確認は済んだがこのまま帰す訳にはいかない。
この時代のHONDA車はほぼすべてがバッテリー点火なので、40年以上前のバッテリーでは話にならない。
12vの物なら近所のホームセンターなどでも簡単に手に入るが6vの物は電球同様に流通数が少ない。
インターネットを介して必要なものはすべて手配済みだが、この車両を維持するために持ち主には少々お勉強してもらう事を具申したい。
このC200と共に『樵の巨匠』のガレージにやって来たYAMAHA TY175だが、コンペティションモデルだったためか手が加えられていた部分は少なくなかった。
フラットバルブのキャブレターの給気効率を上げる目的だったと思われるインシュレーターの加工だが、穴があくまで削っても意味がねぇべ!
タンクのキャップには焼いたような跡があるし・・・。
OHMACHI BASEまでの道すがら『編集長』のガレージを覗いて見るとCB400SFのフロントブレーキに取り組んでいた。
17年間放置されていた割にハウジングの内部は驚くほどきれいだった。
固形化したブレーキフルードは僅かでオイルシールやダストシールもそのまま使えそうな程だった。
言うまでもなく走った以上は止まらなければならない。
二輪車にとってフロントブレーキは制動の要でもある。
はっきり言って『編集長』の愛車ZEPHYRχのブレーキをメンテナンスした時より数段良好な状態とも言える。
実走距離を考えれば当然かもしれないが古い車両程、保管状態が現状を左右する。
『トーハツのレイジ』が持ち込んだトーハツ ツインアローLA5は、不調の原因が電装系ならば疑うとところは残すところポイントと二次コイルに至る配線だ。
左右の気筒のポイントを入れ替えてみた。
確実な点火位置が分からない。
ポイントの開き始めを目視で確認しての作業なので点火時期の調整としては十分なものではないが、以前よりも右側の失火が少なくなったような気がする。
もしもポイントが原因だったとして、ポイントとベースプレートは同じメーカーの物を使う事が鉄則だ。取扱説明書によれば「富士電機製」、もしくは「三菱電機製」が使われているようだが、次回は点火系周りを全バラして今後の事を考える事になりそうだ。
8月も既に下旬に差しかかり朝方の気温は秋そのものだ。
これを過ごしやすいと言うべきかどうかは意見の分かれるところだとしても、秋晴れの日に期待するしかない。
それは今年はまだ1度も海へ行っていないからだ。
編集長のおまけ!
トーハツくんレイジの所にやってきて初めてエンジンがかかったよ!
先は明るいぞ!!