秋蛍のように

憧 憬 の 轍

 

20231022日 秋蛍のように

 

岩木山に続いて八甲田でも初冠雪が見られた。

平年よりも2日遅いと言うが、10月に入ってからの急激な気温の低下によって秋の彩を見せていた山も、ついに雪化粧を始めた訳だ。

標高によっては紅葉と雪のコントラストが美しい時期でもある。

出かけたいのは山々だが、タイヤを交換しなければならないのが億劫なばかりでなく、そろそろ冬物の衣類を支度しなければならない・・・、などと考えているうちに1日が過ぎてしまう。

 

 

  

 

先週末にラジエターを洗浄し、フロントフォークのオイルシールも入れ替えた『サンちゃん』ことS氏のKAWASAKI ELIMINATOR250はオーナーの元へ返した。

シフトドラムセンターを入れ替えた‘75 CB400Four を走らせてみたいのだが外は雨模様なので、センタースタンドで後輪を浮かせた状態でエンジンをかけた。

軽く踏み込むだけで気持ちよく1速は入るし、実にスムーズに2速に上がる。

製造されてから実に48年。

金属の摩耗も当然と言えば当然なのだが、ピストンリングなどのように高速で動いている部分ではないので不具合を感じるまで疑わずにいた事を反省しなければならない。

 

 

作業場内で変速のテスト


                    

クラッチも再調整して

 

八甲田の初冠雪を聞いたからではないがバイクも作業場も冬支度だ。

このタイミングで‘75 CB400Four の部品がオークションに多数出回っている。

かなり前にもこんな事があったと思い出しながら安価であれば状態の良い物を買っておこうと考えている。

純正部品は今後、さらに絶望的なだけでなくリプレイス品もいつまで手に入るか分からないからだ。

 

ストック部品が少し増えた



交換済みでもまだ使えそうな部品は捨てずに

 

1958年製のHONDA JC58にしても、昨年、46年ぶりに車検を受けた1962年製のKAWASAKI W1にしても整備さえ怠らなければ今も普通に走ることが出来る。

とは言っても当然のことながら現代のバイクのような訳にはいかない。

そんなバイクを前にして、今後、大きな課題になりそうなのは乗り手自身のメンテナンスと言う事になる。

 

 

 

 

閑話休題 またしても後悔先に立たず 無謀な挑戦

 

『林道1号のヒロさん』ことT氏の自宅の庭に立派な栗の木がある。

一般的に樹木を評する時、枝ぶりや樹齢やその容姿を称えて「立派な木」と言うのだろうが、私にとってこの木が立派な木である理由は大量の実が簡単に拾える事にある。

元来、樹木を愛でて評するだけの見識も知識もその欠片もない。

もちろん栗拾いをしたのは今回が初めてではない。

中途半端に口を開いて落ちた実のイガを割って中身を取り出すうちに、手は刺さった棘で時に血が滲むのが栗拾いだと思っていた。

ところがこの「立派な木」の実は地面に落ちたショックで中身が飛び出てしまう。

もしくはイガを枝に残したまま実だけが落ちて来る。

こんなにも痛い思いをせずに栗拾いをしたのは初めてだった。

 

たわわ~ 実りの秋ってか


                   

今にも落ちてきそう

 

20ℓ程のポリエチレンの袋が10分足らずで満杯になる。

これまでこんなにも簡単な栗拾いをしたことは無かった。

童心に帰って拾った栗を頂いたまでは良かったが、問題はこの栗をどうするかだ。

茹でて食べるのが一番簡単な方法だが、何かもうひと手間かけてみたい。

出来もしないのにそんな事を考えてしまう事自体が浅はかなのだが・・・。

 

木の周りに沢山落ちてる!


                   

虫に食われる前に拾うのだ!

 

少し前に料理上手な女友達が「近所の人から栗をたくさんもらったけど皮を剝くのがたいへん」、などと言っていた事を思い出して早速電話してみた。

貰った栗の半分は既に甘露煮にして残りを渋皮煮や揚げ栗などにする準備をしていると言う。

昔のよしみで作り方を教えてもらった。

初めて渋皮煮を食べたのはどこかの茶房で、彼女と一緒だったような気もする。

さらに栗の天ぷらとか定番の栗おこわなどの作り方も聞いた。

今の時代、インターネットを開けばそんな情報は溢れかえっている。

丁寧な説明付きの動画が簡単に観られるが、マニュアル通りではない方法や、いわゆる裏技のようなものまでを知るには彼女のような人に尋ねるに限る。

所詮アタマの構造が単純なバカは、渋い緑茶を啜りながら食べた渋皮煮の味を思い出して作ってみようと思った訳で、手間のかかる事に手を付けてしまった事を半ば後悔している。

いや、完全に後悔している。

それは絶対に動くはずの無いような機械のレストアを無謀にも始めてしまった時と同じだ。

「栗くり坊主」という皮むき器械もあるが、やはり最後は指先の作業。

硬い外側のいわゆる鬼皮を丁寧に剝いた後にアク抜き、さらに煮崩れしないような火加減で下茹で。

そして味付け。

正直なところ、気が遠くなりかけている。

驚くほどに虫に食われた実が少ないが、虫に食われた部分を切除したものや鬼皮を剝く過程で傷をつけてしまったものは渋皮も剝いて甘露煮にするつもりだ。

渋皮を残して揚げ栗にする事も考えている。

 

「栗くり坊主」これはひとつの武器だ

 

渋皮煮用、甘露煮用、揚げ栗用・・・

 

調理方法を教えてくれた女友達の「アナタなら多分上手く作れるはずよ」のひと言で成功を確信しそうになるのだから、バカは手に負えない。

電話の向こうにいるのが同年代のババァ、いや妙齢の女性だと分かっていても、女性に言われるとその気になってしまうのがバカ丸出しの証拠だ。

そして「こんな女を嫁に貰っておけば良かったかな・・・」などと思ってしまうから、なおのこと手に負えない。

次は重曹とシナモンや蜂蜜も用意しなければ・・・。

さぁ、結果はいかなるものか? 

これも秋の夜長の過ごし方かも知れないが、この頃は虫も鳴かなくなった。