孟冬の候

憧 憬 の 轍

20231210日 孟冬の候

天気予報の傘のマークに雪ダルマのマークが混じるようになった。

2週間予報を見るとその数は増え、さらに来週からは真冬日も予想されている。

バイク屋の軒先には整備待ちの除雪機が並んでいるし、ホームセンターの草刈り機やチェーンソーの売り場にも大量の除雪用シャベルなどが並んでいる。

寒いのは仕方ないとしても、雪の少ない冬であれば・・・、と思っているのは自分だけではないと思う。

二十四節気では小寒大寒冬至の後だ。

12月が気忙しく感じるのは様々な備えが必要だからかもしれない。

 

 

VMX12のタンデムステップの錆を落とすためにステップをベースから外す。

まずは社外品のサイレンサーを外した。

タンデムステップを跳ね上げた状態を保つためのスプリングと鉄球は見事なまでに錆びている。完全にメッキが無くなっている鉄球だけでも新しいものを用意しようとパーツリストを捲ったが、単品での扱いは無かった。

こんな6㎜程度の球のためにホルダー部分から部品を取り寄せるのも癪な話だ。・・・そう言えば似た様な物があったはず・・・。

ストック部品は車種ごとに保管しているが用途不明の部品も幾つかある。

その中にHONDA純正部品だが同じ寸法の物があった。

 

錆を落とすとメッキはまったく残っていない


         

ホルダーやピンなども錆落とし

 

以前、KAWASAKIの某車種を修理していた時の事。

タンクコックに入るパッキンが純正部品は既に欠品で、リプレイス品がカップのパッキンなどとセットで5,000円以上もしたが、必要なパッキンはまったく同じ部品がHONDA純正部品で150円程度だった。

そのパッキンも、今必要な鉄球も純正部品とは言えHONDAやYAMAHAが自ら作っているはずがない。

製造元はおそらく同じでは・・・?

 

フットレストやサイドスタンドなどのようにバイク本体から外しやすい部品は比較的に楽だが、フレーム本体はエンジンを降ろして全バラ状態にしなければ完全な作業は不可能だ。

今回はそこまでする予定は無いが、手間のかかる作業を覚悟しなければならないようだ。

特にスイングアームのピボット部分などは錆の深さも気にかかる。

 

後ブレーキのシャフトはスカスカ


                

スイングアームのピボット部分 

 

SUZUKI BANDIT250の作業を今日で終わらせるはずだった『若葉マークのS🔰』は、昨夜からの発熱のために出場停止命令が下された。

ただの風邪のようだがインフルエンザやコロナだったら「OHMACHI BASE」は早々と冬休みに入らなければならなくなる。

元気になったら勉強と称して今回の修理のために入手したエンジンの腰下を解体させようと思っている。

 

荷を解いた時の状態


                      

このローターを移植するのに1日がかりだった

 

 

次の週末はちょうど12月の半ば、年末年始と言う言葉が多く聴こえてくる時期だ。

そんな事を思いながら1枚だけ残っている12月のカレンダーの後ろに来年のカレンダーを重ねた。

 

 

 

 

閑話休題 12月10日と言えば・・・

昭和43年(1968年)12月10日、未解決事件として今も話題に上る「三億円強奪事件」が発生した。

正式な事件名は「現金輸送車強奪事件」、奪われた現金は2億9430万7500円だった。

7年後の昭和50年(1975年)に公訴時効が成立し、昭和63年(1988年)には民事の事項も成立した。

重要参考人のリストに載ったのは約11万人、捜査に投入された警察官の数は17万1346人、捜査費用は7年間で9億7200万円以上。

遺留品は124点。

強奪された紙幣の内で番号が分かっているのは2,000枚の500円紙幣だけで、今日に至っても使われた形跡は確認されていない。

この事件を元にフィクション、ノンフィクションを問わず多くの作品が作られたが、この事件に関する多くの疑問は解決されてはいない。

東京の地理には疎いが事件現場周辺を当時の地図で見ると幾つかの飛行場や横田基地がある。

地位協定の関係で今以上にアメリカ軍管轄の施設内まで捜査の手が及んでいたとは考えにくい。

犯人、もしくは犯人グループにアメリカ軍の関係者や軍人がいたとすれば、ジュラルミンケース3個程度の「荷物」を国外へ持ちだす事は難しい事では無かったはずだ。