憧 憬 の 轍
2015年11月22日 昔話
感傷的な気持ちになるのは季節のせいばかりではない。
S君とHさんは幼馴染で小学校から高校まで同じ学校に通った。
卒業後はそれぞれ別な道に進んだが、
二十歳の頃にS君が通う大学にHさんが入学して二人は再会した。
S君の周りにはいつも多くの仲間が集まっていて、
Hさんがその輪に入いるのに時間はかからなかった。
S君と特に仲がよかったのはM君とT君とO君。
T君とO君は東北の出身で、
時々二人にしか分からない言葉で会話したが、
方言はすぐに仲間内の共通語になったりもした。
5人が社会人になった頃、
日本はいわゆるバブル直前の経済低迷期にあった。
2年後に訪れる空前の好景気など予測も出来ないまま、
やっと見つけた就職先で右往左往する毎日が続いた。
それでも5人は時々集まっては食事をしたり酒を飲んだりしていた。
何の相談?
自他共に認める酒豪だったS君とT君の側で
M君とO君が伏している事も珍しくなかった。
それでも始発の地下鉄を待って薄明るくなった街を
千鳥足で歩いた週末は数え切れない。
その頃、既にM君とHさんが特別な関係にあった事を気付いていながら、
なぜか誰も話題にしなかった。
M君とHさんが交わす視線の変化とは別に
O君はS君の視線の変化にも気付いていた。
落ち葉もいろいろ
雨が降っていた。
豪雨と言って良いほど強い雨だった。
O君の部屋の電話が鳴ったのは午前3時を廻った頃、
泥酔したS君からだった。
携帯電話など無かった時代の話だ。
「タクシー代も無くなるまで飲んでしまったから迎えに来てくれ」
O君はそれまでにも何度か同じセリフでS君から呼び出された事があった。
しかしその夜、
受話器の向うのS君の声は明らかにいつもと違っていた。
そしていつもならポケットに残った金で缶ビールを買って
O君のアパートに転がり込むS君が
自分のアパートまで送って欲しいと言った。
O君はあの朝の雨の音を今でも忘れていない。
霙混じりの雨が白く見えた事も。
S君はアパートの鍵が見つからずにドアの前に座り込んでしまった。
そして何も言わず一点を見つめていた。
O君は道路の向こう側のコインランドリーにあった自動販売機で
缶ビールを2本買い、S君に1本を渡した。
S君は溜め息をひとつついた後で目を閉じたまま言った。
「M君とHさんが幸せになればいいな」
O君は聞かずとも知っていた。
そればかりかS君がHさんに想いを寄せていた事も。
言い出せないS君の気持ちも分かるような気がした。
S君が何か言ったようだったが、
いっそう強く降る雨の音で聞き取れなかった。
盆地にこめる朝霧は美味しい蕎麦を育てる
S君が倒れたのはあの雨の朝から間もなくしての事だった。
誰もが「飲みすぎで体を壊した」とか「暴飲暴食が祟った」とか嘯いた。
仲間の誰もが初めはそう思ったが、すぐにそうではない事を知った。
S君の体は癌との戦いに疲れ、
その巨体は日増しに小さくなっていった。
9月が終わり10月の連休にさしかかる頃の事だった。
そしてS君は自分の体の状態を知る事になる。
年が明けて間もなくしてO君は久しぶりに病室を訪ねた。
面会謝絶の札を無視してドアを開けると
カーテンの向うに見えたのは悲しいほどに痩せ細ったS君の足だった。
体が硬直し、涙で曇る視界と消毒液の匂いの中に立ちすくんでいた。
その時のS君にはほとんど意識が無く
心臓と肺が機械的に動いていただけだった。
動かされていたと言うべきかも知れない。
そして2日後、S君は逝った。
冬の教室は寒かったよね
M君とHさんの結婚式でT君とO君は同じ席にいた。
当初、友人代表の祝辞はS君が述べる予定だった。
O君はあの霙混じりの雨が降った朝の事をT君に話した。
彼もS君の気持ちには気付いていたらしいが、口に出さないままだった。
二次会、三次会と続く宴の中、T君とO君はS君の思い出の中にいた。
M君とHさんの夫婦は今も仲良く暮らしている。
T君もO君も仕事の関係でかつて暮らした街を離れ、
日常的に連絡することもほとんど無くなった。
かつてS君が乗っていたバイクはM君の弟が譲り受けたらしいが
今でも乗っているのだろうか?
O君は気まぐれに出かけた旅先で
ウイスキーの小瓶を片手に昔の事を思い出していた。
北の空に向かって乾杯、いや献杯。
今日はS君の誕生日だから。
あれから26回目の秋は初雪と共に過ぎ去った。