憧 憬 の 轍

 
憧 憬 の 轍
 
 
2016131日 
 
時代、絶望を孕んだ憧れ。そしてHONDA  CB400FourKAWASAKI 350SS
 
 
 
昨冬、錆が気になってニップル共々磨き直し、
 
その上でPOR15のクリアで錆止めを試みたCB400Fourのスポークだが、
 
やはり錆には勝てなかった。
 
ステンレスのスポークは高価でとても手が出せず、
 
ロームメッキの物を入手。
 
純正品と同じユニクロメッキは対候性も耐磨耗性も低い。
 
そもそもユニクロメッキは亜鉛メッキにクロメート処理したもので
 
耐食性を重視したものではない(?)と個人的には思っている。
 
明らかに光沢の違うクロームメッキのスポークを前に
 
CB400Fourをレストアしていた頃を思い出していた。
 
 
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錆には勝てなかった                      これでダメなら無理してでもステンレス?
 
KAWASAKI 350SSはクラス最速のスーパーマシンだった。』
 
そんな書き出しでこのブログを書き始めたのは6年前の春だった。
 
MACHⅢ命」の頃から40年経った今でもそう思っている。
 
そう信じている。
 
 
ではHONDA CB400Fourは? 
 
 
1975年当時、10月を境に教習所で取得できる二輪の免許証には
 
「自二車は中型に限る」と言う一文が条件欄に書き込まれる事になる。
 
中型の意味は総排気量400cc以下。
 
大型に乗るためには限定解除審査を受けなければならず、
 
合格率は概ね1%程度で司法試験より難しいとも言われた。
 
この制度はその後25年間続く事になり、
 
同時に「ナナハン」と言う4文字のカタカナは
 
絶望感を孕んだ憧れの代名詞のひとつとなった。
 
1975年に満16歳になったのは1959年生まれの人たちだ。
 
9月までに生まれていれば中型限定の制限を受けずに
 
二輪免許を取得できたが、
 
10月以降に生まれた者は例外なく中型限定。
 
高校生であれば夏休みを利用して教習所に通った者は
 
ナナハンに乗れて10月以降に生まれた者は400ccが上限。
 
どれほど多くの若者がこの改正に不公平感を抱き
 
不満を口にしたことだろう。
 
制度改正の前も後も教習車は360ccが一般的だった。
 
 
1996年の免許制度改正によって
 
再び教習所で大型二輪の教習を受けられるようになった。
 
同時にいわゆる中型免許は普通二輪免許として独立した免許となったので、
 
401cc以上の大型二輪車を運転した場合、
 
条件違反ではなく無免許となる。
 
条件違反と無免許の減点数や処分については
 
雲泥の差がある事は誰もが知っている。
 
 
暴走族の増加や交通事故の激化を理由に改正されたはずの
 
二輪免許が四半世紀を経て緩和された理由は、
 
海外の二輪メーカーからの
 
「日本で大型二輪車が売れないのは免許制度が原因で、非関税障壁となっている」
 
と言う旨の度重なるクレームだった事は有名な話だ。
 
「交通事故と暴走族の撲滅」と言う大儀名分は
 
貿易摩擦を解消するために忘れ去られた。
 
 
事実、免許制度を変えても交通事故も暴走族も減らなかった。
 
当時も今も暴走族には免停中の者や無免許の者が少なくない。
 
 
大魔神ことO氏曰く、
 
「昔ナナハンは一番でかいバイクで1,200ccのハーレーよりもでかいかも知れないと思っていた」。
 
彼は規制を辛くも免れた1958年生まれだが、
 
子供の頃そう思っていたらしい。
 
そんな誤解が生まれたのも1969年以降
 
“国内販売は750ccまで”
 
と言う行政主導の“自主規制”を各メーカーが受け入れたからだ。
 
この規制も20年にわたり継続された。
 
 
HONDACB400Fourが発売されたのは197412月。
 
総排気量408cc
 
わずか8ccのために大型二輪免許が必要になり、
 
19763月にショートストローク化した
 
398ccの国内専用モデルが追加された。
 
この頃、大型二輪免許を持っていながら400ccのバイクを選ぶ者は皆無に等しかった。
 
 
ちなみにKAWASAKI 350SSの後継モデルとも言うべき
 
KH400の総排気量は400.8cc
 
CB400FourKH400も共に車検証に記載された排気量は同じく0.40ℓだった。
 
しかしKH400大型二輪免許が必要だと言う話は未だに聞いた事が無い。
 
8ccはダメでも0.8ccは問題無かったのか? 
 
それこそ不公平だったのでは?
 
 
CB400Fourのカタログに記載された
 
「おお、400。おまえは風だ」と言うキャッチコピーにさえ
 
「暴走族、もしくは暴走行為を連想させる」と警察が指摘し、
 
「おお、400。おまえが好きだ」と修正せざるを得なかった時代だった。
 
なぜバイクはそんなにも目の敵にされなければならなかったのだろう?
 
 
CB400Fourは「時代の生贄」だったのかもしれない。
 
あるいは見せしめにされたのかもしれない。
 
 
真偽の程は定かでないがMACHⅢには
 
「発売から半年で45人が死んだ」と言う武勇伝もある。
 
今では現行の250ccにさえ追いつけない両者だが、伝説は生きている。
 
 
実はこの1週間、ヒマを見ては初期型XL125に手を付けていた。
 
流用を考えたステップのリターンスプリングはTLR200の物、
 
欠品のヘッドライト固定、
 
および調整用スプリングやナットなどは
 
手元にある部品を流用したり鉄板を切り出して作ったりで、
 
小さな脳ミソは“高回転”状態だった。
 
 
手強いと思っていたエアクリーナー/バッテリーボックスも、
 
意地と根性のサンドブラストで古い塗料と錆をブっ飛ばして再塗装。
 
途中経過の写真を撮っていないため編集長にはお叱りを喰らいそうだが、
 
作業中は正に猪突猛進! 
 
亥年生まれの性ってヤツです! 写真の事なんて忘れてました。
 
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この程度のモノは最初から作るつもりだった              “意地と根性”の勢いは塗装まで
このエアクリーナー/バッテリーボックスが付かない事には
 
ハーネスも決まらないしリアフェンダーの検討も始まらない。
 
パーツリストを見ればリアフェンダー
 
フェンダーABとで構成されている。おそらく樹脂製。
 
しかし「樵の巨匠」から預かった部品には
 
どちらもカケラさえ見当たらない。
 
 
そのかわりにFRP製のリアフェンダーが。
 
これを流用する事を考えて脳ミソはまたもレッドゾーン。
 
ヒロさんことT氏が持ち込んだマフラーの再塗装を手伝って
 
若干クールダウンしたが臨界の一歩手前。
 
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SUZUKI GSX250S いわゆる“小刀”用            リアフェンダーはこの図を参考に