憧 憬 の 轍
2017年3月2日 待ち遠しい
最高気温8℃なれども最低気温も-8℃、こんな日が続いた。
昼間に溶けた雪や氷が朝方にまた凍る。
これもまた北国に生まれ育った者だからこそ感じられる春の予感だ。
車を運転していて感じる陽の暖かさに独り言がこぼれる。「もう少しだ」。
前回、ただの記念写真とか言って掲載したCS92のプレスハンドル。
興味のない人にとってはただのスクラップ。
もしかしたらスクラップ以下の鉄クズ。
さらに値段を言えば呆れ顔されるのは間違いない。
そんなプレスハンドルだけでも盛り上がるのに
デッドストックのヘッドライトやフロントフォークのボルトも届き、
ちょっとした「祭り」状態。
ライトもボルトも50年前の新品 これも50年前は新品
スイッチ類もウインカーベースも付いてきた さぁ、どう料理しようか・・・
「樵の巨匠」はバイクや車のレストアから離れて久しいが
グランパ・O氏と共に仕事の合間の「デッドストック祭り」で
テンションの高さはハンパじゃない。
二人ともこういう事を楽しみに、いや、こういう事のために仕事をしている、
と言うか生きているというか・・・。
それぞれ打ち合わせや取引先に向かう二人の足取りの軽さは言うまでもない。
デッドストック祭りの事もさることながら
『林道2号』がマットブラックに塗りたくったサイドカバーや
フロントカウルは残念ながら多くの課題を残してしまった。
まだ公開できるシロモノではないので、
今回は情熱と根性と執念で張り替えたシートを。
素材はもう少し伸びそうなので後日、修正しなければならないようだ。
『林道2号』の力作 根性と執念の賜物 箱やラベルを収集している人もらしい
先週予定を変更したXL250R(MD03)のパリダカタンク。
本来のカラーリング(青、白、赤のトリコロール)に戻そうかとも思ったが、
やっぱり赤色一色。
トリコロールのタンクは1982年のパリ・ダカールラリーで優勝したXR500R改に
搭載されていたバカデカいタンクの配色。
フランス・ホンダからのエントリーだったのでフランス国旗を模して
このカラーリングになったと聞いている。
XRは本来HONDAのレーサーの名称。
日本国内では公道走行できる状態でXLの名称で販売されたが、
国外ではXRのままだった。
そもそも公道を走るための規定は国によって大きく違う。
1981年の第3回パリ・ダカールラリーでXR500Rを550㏄にボアアップし、
さらにミッションを4段に落としたマシーンをフランス・ホンダの要請で
朝霞研究所(現二輪R&Dセンター)が手掛けた。
結果は6位に終わったが翌1982年は見事優勝したマシーンだ。
ライダーのシリル・ヌヴーは第1回大会と第2回大会で
YAMAHA XT500を駆って2連勝したライダーだった。
日本製のバイクを日本の技術で手掛けたにもかかわらず
HONDAはこの優勝を機にXL250R PARIS-DAKKARを発売する。
しかしXL500R PARIS-DAKKARではなかったのは当時の免許制度と関係している。
オリジナルのカラーリングを少しだけ意識して、
ホンダのウイングマークは以前と違う色合のものにすることも考えている。
1982年のXR500R改 2017年バージョンは3色仕様かな?
楽しくなりそうな週末を祈って、今夜も赤ガス3杯目、ホロける前に寝ないと・・・。