憂いにも似た秋の始まり

 

 

憧 憬 の 轍

 

 

 

201792日 憂いにも似た秋の始まり

 

 

 秋晴れ。巻層雲。新蕎麦。月見。紅葉。
 
風は少し冷たいけれどまだ夏の匂いが残る・・・。
 
極めて個人的な9月のイメージ。
 
雨が降るものとばかり思っていたが朝からの好天は
 
イメージ通りの9月最初の日曜日になった。
 

 

 

 

 先週届いた剥離剤は雨の日のために用意したつもりだったが

 

「仏閣症候群」に感染してしまったようで、

 

朝からフレームの剥離作業。

 

赤いフレームに銀色のタンクとサイドカバー。

 

プレスフレームの裏側は完璧に防錆処理を施して・・・、

 

感染源がグランパ・O氏や92ブラザース(弟)なのは明確だ。

 

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面白いほど簡単に剥離する
 
 
 
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スイングアームもグチャグチャと・・・
 
 
 そして今日のメインイベント、ではないがリアフェンダーの切断。

 

本来16インチ径のタイヤに合わせて設計されているフェンダー一体のフレームに

 

18インチ径のタイヤを履かせるための作業。

 

切断位置は何枚もの写真から割り出したもので、

 

決していい加減に切ったのではない。
 
 

 

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切っちまったぞ~                                       
 
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こんな納まりもアリかな?
 
 
 正直に言って今日、

 

こんなに天気の良い日曜日にバイクに乗らない自分はアホだと思いながら

 

C92のフレームやフロントフォークに取り組んでいると、

 

作業場の外で聴きなれない排気音がする。92ブラザースの登場だ。

 

 
92ブラザース(兄)は組み上がったばかりのCL72で、

 

弟はいつものCB50改で。

 

CL72とは言ってもエンジンはCB77Type 1が載せられている。

 

白煙やマフラーから飛び散るオイルが止まらないらしい。

 

きれいに組み上げられているだけでなく輸出仕様の部品も多く使われている。

 

出来るだけ早く完調に仕上げて一緒に走りたい1台だ。

 

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CL72CB50改                                       
 
 
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特徴的なマフラーの取り回し

 

 

 

 

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かつてこのマフラーに憧れた人も多かったはず                    
 
 
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そしてType 1 わかる人にはわかる
 
 
 続いて現れたのはまたしても92ブラザース(弟)のスポーツ・カブ。

 

雨続きで乗れなかったので今日は「虫干し」ならぬ「バイク干し」なんだとか。

 

それにしてもこの兄弟が所有する数台はまさに昭和のバイク博物館のようなバイクばかりだ。

 

 

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スポーツとは名ばかりのスピード?                            
 
このマフラーも特徴的 Y部品?
 
 
 実は92ブラザース(弟)には今日、

 

片づけなければならない作業があった。

 

先週、某家電量販店の前で突然動かなくなってしまったC100の修理だ。

 

三菱製のポイントはやはり見つからなかったようで、

 

用意したのはダイニチ製の部品。

 

形状も寸法もほぼ同じだが、ビス穴が微妙に違う。

 

タイミングを調整するためのルーズホールをわずかに加工してC1001週間ぶりに走り出した。

 

 

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ダイニチ製のポイントでエンジン始動                          
 
 
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点火タイミング調整中
 
 午後、日が傾き始めたころに現れたのは

 

編集長とジャミフレンズ・悪友のKEN

 

編集長は愛車CLUB MANで、

 

悪友のKENSR500でそれぞれ湖周回ツーリングへ。

 

秋晴れの1日、

 

本来ならイチバンに走り出すはずの『林道2号』は

 

何やらお勉強で脳ミソがバーストしたらしい。

 

「樵の巨匠」は早朝まで夜の街をさまよっていたとの情報もある。

 

グランパ・O氏が某オークションに熱くなっている頃、

 

作業場ではバラ焼きをつまんでいた。

 

こんな秋の日が長く続いてほしい。
 
 
 
 
 

 

 朝鮮半島からICBMが飛んでくるだの、オスプレイが煙吹いただの、

 

海上自衛隊のヘリコプターが墜落しただの、

 

基地の街としては何もなくても毎日ウルサイのに、

 

別な意味でも賑やかな1週間だった。

 

さらに今日に至っては水爆実験のニュース。

 

これでまた当分は朝鮮半島の話題が続くと思うとうんざりする

 

 ひとつ疑問がある。

 

日本の領土、領海にICBMが着弾しないと判断したので

 

常時発令している破壊措置命令が実行されなかった、

 

ようするに撃墜しなかったのなら、あの朝のJアラートは必要だったのか? 

 

警告を無視してアタマの上を勝手に飛ぶものや

 

海を走るものを撃ち落すなり沈めるなり、

 

それを出来る能力はあるはずだが、

 

残念なことに抑止力にはなっていないように思える。

 

1983年の旧ソ連空軍による「大韓航空機撃墜事件」。

 

事件の現場は宗谷岬の近海だった。
当時は札幌で暮らしていて、

 

連日報道されるオホーツク海沿岸の実情に眉をひそめたものだった。

 

領空侵犯とは言え旅客機を撃墜したものだから、

 

ソ連=非道とも思われたが、

 

同時に「国を護る」ことの意味を考えさせられた事件だったと記憶している。

 

 世界中の国々が「抑止力」の名目で

 

軍備の強化を図った先にある平和は本当に平和と呼べるのだろうか?

 

極度の緊張感の上にも平和は存在するのだろうか?
 

 

 2年前に半年間、アフガニスタンに出張していた米兵から聞いた話だが、

 

現地ではいわゆる駐屯地にロケット砲が撃ち込まれた事が何度もあったらしい。

 

サイレンが鳴り、物陰に伏せて着弾を確認してから次の行動に移ると言うが、

 

どこに着弾するのかはその瞬間まで分からない。

 

自分が伏せている場所かもしれない。

 

残念なことだらけだが結局出来るのはその程度の事でしかない。

 

半年の任期を終えて彼女は無事に帰って来たのでこの話を聞くことが出来た訳だが、

 

そんな状況にも人は少しずつ慣れるものらしい。

 

だがそれは決して慣れてはならない種類の緊張感だ。

 

彼女の笑顔が任務を終えた安堵によるものなのか慣れによるものなのか、

 

今でも判断がつかない。