泡 番外編9

憧 憬 の 轍

 

2019811日 泡 番外編9


つけっぱなしのテレビは帰省客で混雑する駅のホームや、渋滞する高速道路を映し出していた。


疲れを隠せない顔でインタビューに答える男や汗まみれで子供の手を引く女、あるいは大きなスーツケースを持った旅行客で混雑している空港の映像。


それらはどれもが毎年繰り返されるこの国の、ひとつの「風物詩」だとK美は思っている。


東京で夏を迎えるのは今年で何回目だっけ? 

その答えが34回目だと知っていながら簡単な引き算を最後までしたくなかった。

恋人の後を追って札幌から上京した頃、こんな気持ちで街を眺める日が来るなんて考えた事も無かった。

いわゆるバブル景気に沸き立っていた東京は何もかにもが異常だった。

大きな窓を開けてベランダに出てみる。

温度と湿度と街の喧騒に身体が一気に汗ばむ。

何度経験しても慣れない関東の夏に、やはり自分は何時までも北海道で生まれた女なのだと思った。



恋人は機材メーカーに勤めるサラリーマンだった。

景気と共に人手が足りなくなって本社に呼ばれただけで、栄転だった訳ではなかった。

一方K美は一級建築士の資格を持っていた事も幸いして仕事はすぐに見つかった。

二人が借りたアパートは家賃が札幌にいた頃の3倍もして驚いたが、それよりも驚いたのは洗濯機を外に置くことが東京のアパートでは当たり前と言う事だった。



所詮は泡、景気は次第に萎んだ。

K美も2度職場を変わった。

系列会社で採用されたが実直な仕事ぶりが評価されて本社勤務になっていた。

しかし夫となった男の勤め先は合併や資本の変更などで、待遇は悪くなるばかりだった。

互いの気持ちに溝が生じ始めたのもその頃で、結婚生活は長く続かなかった。


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バブル景気が完全に過去のものになろうとしていた頃、K美の仕事は多忙を極めていた。

大手企業は生き残るために必死だった。

そんな状況でも再婚のチャンスは何度かあったが仕事をしている方が楽しかったし、ひとりでいる方が楽だった。

耳にタコができるほど訊かれた「ひとり暮らしは寂しくないのか」と言う質問も最近はしばらく聞いていない。

事実、同年代の女たちの多くには家族があり、孫までいて当たり前の年齢だ。

あの6年の間に子供の一人も産んでいれば今、考えは全く違ったかもしれない。

後悔はないとは言い切れないが、今となってはどうする事も出来ない。

ひとつだけはっきりしているのは、そんな人生を選んだのは他ならぬ自分だと言う事だ。


「いつまで経っても関東の夏には馴染めない」そう思う度に一抹の寂しさを感じるようになったのは2年ほど前からだ。

それは家庭がないとか子供がいないとかではなく、帰る場所を見失ったような気持だった。

生まれ故郷の函館に行ってみようと思った。

函館では家督を継いだ弟が老いた母の面倒を見ながら暮らしている。

社会人になった姪や甥たちの顔も見てみたい。

幸運にも7月の下旬に抱えていた仕事が一段落していたので、今年は10日ほど盆休みが採れている。



新幹線の座席に空きがない事など問い合わせるまでもなく分かっていた。

ローカル線を乗り継ぎながら旅行気分で帰ってみようと思った。

津軽海峡を渡るまでは弟にも連絡しない事にして携帯電話の電源も切った。


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この盆休みが明ければK美は次の仕事の準備に取り掛からなければならない。

10月には本格的に忙しくなり、およそ2年の工期を終えるまで今年のような休みは採れないだろう。

新幹線に比べれば明らかに遅い列車の座席でゆっくりと自らの進退を考えてみたいと思った。



恋人の後を追って上京した時は千歳から羽田まで、空路でおよそ2時間だったのが今はその10倍もの時間をかけて函館に帰ろうとしている。

移り変わる景色を眺めているともっと長い時間がかかってもいいような気がした。

駅のホームで立ち食いの蕎麦を啜ったり駅弁を買ったりするのは何年ぶりの事だろう。

乗り換えの駅で買った缶ビールを開けた時、泡が吹きこぼれて落ちた。

濡れた指を拭いもせずに、まだ泡立つ缶を口に運んだ車窓に夕闇が迫っていた。