続・泡 帰郷 番外編10

憧 憬 の 轍

 

2019821日  続・泡 帰郷 番外編10




かつて北海道へは青森から青函連絡船で渡るのが一般的だった。

青森駅が近づく頃、車内ではアナウンスと共に車掌が乗船名簿を配り、北海道へ渡る者は住所と名前を走り書きして桟橋へ向かった。

混雑時に2等船室で座席を確保するためには荷物がどんなに重くても走って乗船しなければならなかった。

それでも間に合わなかった時は通路の端や、時には甲板でおよそ4時間の航行時間を過ごさなければならなかった。

 

船はトンネルにとって代わり、今や新幹線が走っている。


東京―新函館間の所要時間は現在、最短で約4時間。


いずれは札幌まで伸延し、およそ5時間で結ぶ計画と聞いている。

 

 


K美は今回の帰郷にあたり青森から函館までをフェリーに頼るしかなかった。


青森駅で列車を降りてからフェリーに乗るまでに5時間、さらに4時間の船旅だった。


深夜に出航する便しか予約が取れなかったので函館到着は早朝になる。


思い立って東京を出てからローカル線を乗り継ぎ既に25時間、一般的な帰省ではなく小旅行だと考えながら函館を目指していた。

 

青森での約5時間をどう過ごすのか、K美は考えを巡らしていた。


初めて訪れる青森で観光するには時間が足りない。かと言って待つだけでは長すぎる。

 

かつて札幌の小さな設計事務所で働いていた頃の同僚が県内にいることを思い出し連絡を取った。

K美が東京へ行く事を決めた頃、ほぼ同時に退社し彼は青森へ帰った。

仕事の都合で上京する機会があれば連絡を取り合って一緒に食事をしたり、時には酒も飲んだがもう数年会っていない。


東京ではいつもK美の奢りだったので青森では彼に奢ってもらう事にした。

 

 「青森の寿司が食べたい」

 

 「寿司屋なんてやってねぇべよ、盆中だぞ」


それでも彼が連れて行ってくれた小料理屋では数種類の握り寿司も用意されていた。

何より刺身がうまい。

函館生まれのK美が感心している場合ではないのだが、やはり東京暮らしが長い。

そして彼は何かを察したように言った。

 


 「飲んでもいいよ、俺は付き合えないけどな」

 


美味い刺身にはビールよりも冷えた日本酒がいい。

5時間はあっという間に過ぎた。

店の主人の計らいの折り詰めと1合瓶を手にフェリーに乗ったのは日付が変わる頃だった。

火照る頬を冷ますようにしばらくの間は甲板で夜の海を眺めていた。

この酔いが覚めたら一度結論を出そうと決めて潮風の中で折り詰めを開いた。

 

早朝の函館で賑わっているのは朝市くらいのものだ。

建て替えられた施設は市場と言うよりは観光スポットと呼ぶのが相応しい。

駅のコインロッカーに荷物を預け、電車通りを歩く。

実家の弟にはまだ連絡していない事を思い出して携帯電話の電源を入れた。

 

函館は坂の街だ。電車通りから函館山に向かって幾つもの坂があり、それぞれに名前が付いている。


市電の大町停留所から弥生坂を登った。


弥生坂からは一直線に下る道の向こうに港が見える。


高校生の頃、街路樹が葉を落した晩秋の弥生坂の景色が好きだった。


高校を卒業すると同時に函館を離れ、以来この坂を登った記憶は片手で足りる程度だった。


あんなにも好きだった風景さえ忘れていた。


札幌に比べれば函館は都会とは言えない。


さらに東京へ出てから札幌は“土臭い”都会だったと思うようになった。


弥生坂から港を見下ろしながら、もしかしたらこの旅は、高校を卒業して札幌へ向かったあの日に始まっていたのかもしれないと思った。


港を横切る小さな船を目で追っていると振動と共に鳴った携帯電話に弟の電話番号が表示されていた。



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K美の実家までは函館市内から車で数十分ほどの距離がある。


迎えに行くと言う弟の言葉を遮りながら坂を下った。そして函館駅から再びローカル線に乗った。

 

もしも弥生坂で思った事が的を得ていたとするなら、この旅を一段落させたい。そのためにも自らの足で帰りたかった。



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函館に滞在した2日間、K美はどこへも出かけずに過ごした。


帰郷をどこかで知った旧友からの誘いにも応じずに実家で過ごした。


時々話の辻褄が合わなくなる老いた母との会話や、昔の自分を見ているような甥や姪の姿がK美の中で燻ぶっていた迷いを少しずつ消した。


それはまるで目に見えない小さな気泡がひとつずつ弾けるような時間だった。


そして3日後、弟が運転する車で函館空港へ向かった。


弟には弟なりの苦労があった事も、現在も抱えている事も分かっているが、そんな話をしながら別れたくなかった。

 

「無理なのは分かっているけど、もう一度でいいから青函連絡船に乗りたいね」 


そう言い残して搭乗ゲートへ向かった。


飛行機が羽田空港に着く頃、K美は長かった旅を終わらせる事を決めていた。


そしてこの旅の終わりは次の旅の始まりだと信じていた。