海峡の向こう側 番外編13

憧 憬 の 轍

 

2020年3月13日 海峡の向こう側 番外編13

 

郵便受けにあった白い封筒と青いインクですぐにK美からの手紙だと分かった。

 

数葉の営業目的の葉書は一瞥して捨て、

青いインクの手紙を開いた。

 

母親と共に移り住んだ家を改装した事や、

相変わらず津軽海峡を眺めては「連絡船」と言う母親の事が書かれていたが、

その母親が急逝したと言う。

 

死因は心不全だったらしい。

 

母親はあまりにも突然に、

そしてあまりにもあっけなく鬼籍に入ってしまった。

 

ほぼ身内だけで慎ましい葬儀を終えた事が書かれていた。

 

母は青函連絡船に乗って此岸から彼岸へと渡った、

K美はそう考えている。

 

青森駅で乗り換えて、

生まれ故郷に向かう列車を引くのは蒸気機関車

 

さらにバスに乗り換えて帰って行った。

        

 

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弟が暮らす家の小さな仏壇にある父親の位牌の隣に母親の位牌を並べた時、

「またひとつ、何かが終わって何かが始まったような気がした」

と彼女は書いていた。

 

かつて東京から函館まで、

およそ1ヶ月を費やしながらレンタカーの軽自動車で帰ってからクルマの運転が楽しいと思うようになったとK美は言う。

 

郊外に古い家を買った後に中古のワゴン車も購入していた。

 

そのワゴン車で、

時には車中泊しながら母親を方々に連れ出していたらしい。

 

母親を連れて札幌を訪れた時、

K美はかつて暮らしたアパートや職場へも立ち寄ってみたと言うが、

新しい道路が通ったためにアパートがあった場所さえ分からなかった。

 

職場だった古いビルがあった場所もマンションが建っていた。

 

かつての同僚と毎日のように通った定食屋の看板も既に無かった。

 

 

「あの頃、私はここで働いいて、ここで暮らして、ここでよくご飯を食べたり、時々お酒を飲んだりしてたんだよ」

 

 

結局そんな話も出来ないまま札幌を後にしたが、

母親にとっては自分の日常とは無縁な札幌も東京も似た様なものだったのだろう。

 

それを知ってK美は母親に見せたかった風景のほとんどが無くなっていて、

むしろ良かったと思った。

 

街の表情は日々変わり続ける。

 

それは進化する生き物にも似ている。

 

「思い出」と言う名の過去だけを何時までも引きずって人は生きているのかもしれない。

 

その重い荷物は鬼籍に入る時にだけ降ろす事が出来るのだとしたなら、

母は函館に、

父の元へ嫁いだ日のような気持で海峡を渡ったのかもしれない。

 

父の待つ彼岸へ。

        

 

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四十九日の法要を終えてK美は母親の遺品を整理していた。

 

数枚の写真を残し、

古い書簡や衣類を庭先で燃やしながら改めて「死」と言う現実について考えたと言う。

 

不慮の事故にでも遭わない限り、

自分よりも母親の方が先に他界する事は漠然と分かっていた。

 

そしていずれは自分にもその順番が回ってくる。

 

いわゆる“孤独死”を怖いとか寂しいとは思わない。

 

そんな個人的な感情よりも事後の処理は弟に頼るしかない事、

あるいは姪や甥たちに頼るしかない事の方が辛いと思った。

 

それにも増して辛かったのは遺品を整理する中で母親がクリスチャンだったと知った事だった。

 

母親がクリスチャンだった事は弟も知らなかった。

 

もしも知っていれば葬り方はおのずと違っていた。

 

取り返しのつかない事をしてしまったと思ったが、

今さらどうする事も出来ない。

 

洗礼名を持ちながら戒名を授けられた母は今、

何を想っているのだろう。

 

函館には幾つもの教会や修道院がある。

 

もちろん多くの寺や神社もある。

 

母親が函館に嫁いで60余年、

入信の機会は日常的にあったはずだし、

嫁ぐ前からクリスチャンだった可能性も捨てきれない。

 

懺悔とも罪悪感ともつかない複雑な思いを抱えながら、

K美は宗教や宗派に関係なく純粋に「弔う」事こそが大事なのだと考えている。

 

それは単なる言い訳ではなく、

自分が仏教徒である自覚も無いままに実家の菩提寺を頼ってしまった事や、

母親の内面を何も知らなかった事への反省でもあった。

        

 

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居間の窓から見える風景は何も変わっていない。

 

隣で「青函連絡船だ」と呟く母親がいない事以外は何も変わっていない。

 

庭先で母親の遺品を燃やした跡はそこだけが黒々と焼け焦げていたが、

次第に目立たなくなって来た。

 

おそらく桜の便りを耳にする頃には跡形もなくなってしまうだろう。

 

郊外の小高い丘の上に立つ古い家は母親を看取るまで暮らす場所だと思っていたが、

K美は今後もここで暮らす事にした。

 

少なくとも遠くに見える津軽海峡を行く船が青函連絡船に見えるまでは。

 

母親の訃報を聞いて後日、

弔問に訪れた中学校の同級生は市役所に長く勤めていた。

 

中学校を出てからは彼の進学先が全寮制だった事もあって、

高校時代に顔を合わせた記憶はほとんど無い。

 

今はNPO法人の役員を務めている。

 

近々にK美は彼が役員を務めるNPOに参加するらしい。

        

 

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小さな古びた家だと思っていたが母親が亡くなってからは思っていたよりも大きな家だった事に気付いた。

 

よく考えてみれば東京で暮らしたマンションの2倍以上の面積がある。

 

さらに津軽海峡に向かって広がる庭まで含めると計算する事すらバカバカしい。

 

K美は新しい生活を始める前に母の生まれ故郷を訪ねてみようと思っている。

 

もちろんそこには母に繋がるものなど何も残っていない事も分かっている。

 

 

「青森には気の利いた運転手兼ガイドがいるんだなぁ」

 

 

頼りにされること自体はやぶさかではないが、

以前、盆中の青森で寿司まで奢らされた日のような事の二の舞だけは丁寧に御遠慮させてもらいたい。

        

 

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とある小学校で教師が生徒に質問した。

 

「雪や氷が解けたら何になる?」。

 

ほとんどの生徒は水と答えたが、

「春になる」と答えた生徒がいたと言う。

 

その話を聞いて真っ先に思い出したのはK美だった。

 

いつの事になるのかは皆目見当もつかないが、

函館でK美の奢りで飲む酒がまたひとつ楽しみになった。

 

 

相変わらずの悪筆を恥じながら機械の力を借りて返事を書くつもりでいる。

 

K美のような達筆とまでは言えなくとも、

他人の前で恥ずかしくない程度の字が書けるようになりたいと思った。