息吹

憧 憬 の 轍

 

2021年3月14日 息吹

 

3月も半ば、かなり暖かくなった。

 

昨夕から降った雨で道端に残っていた雪も溶けた。

 

桜前線とか開花予想などの春を思わせる言葉も聞かれるようになった。

 

この冬、量としては平年並みだったが大量の雪が一度に降り、真冬日が長く続いた。

 

寒かった。

 

雨を見ながらやっと冬が終わるように思えた。

 

 

 

 

 

 

残雪の中からフキノトウが芽を出すように作業場は「春への準備」に勤しむオヤジ達で賑やかだ。

 

『編集長』は愛車のプラモデル作りを一段落させ、実物のメンテナンス。

 

錆が気になっていたボルトやナットなどを交換していた。

 

『樵の巨匠』は新品同様のトライアル用のタイヤを手に入れたらしく、

タイヤ交換と共にTLR200の最後の仕上げに忙しい。

 

 

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TLR200はこんな状態


                     

 

 

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『編集長』はトルクレンチ片手に奮闘中



 

 

『スポカブ・ブラザース(弟)はCB92のエンジンに手を付けだした。

 

エンジンの腰上をバラしてからおよそ半年、

改めてパーツリストや整備マニュアルに目を通しながらエンジンを組み立てる工程は、

見ているだけで楽しい。

 

この年代のバイクの主要部品は既に入手困難だ。

 

根気よく状態の良い中古部品を探したりリプレイスパーツに頼らなければならない。

 

そのため他の車種から流用した部品が使われている事も珍しい事ではない。

 

極力オリジナルに近い状態での再生を『スポカブ・ブラザース(弟)は目指している。

 

 

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カムシャフトとタコメーターユニット


              

 

 

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さぁ、載せるぞ!



 

 

古い車種のパーツリストはお世辞にも見やすいとは言えない。

 

整備マニュアルの説明が矛盾している事もある。

 

さらにボルトやナットの締め付けトルクが今では常識的なN・mではなくlbf・inだったりlbf・ftだったりする。

 

kgf・mやkgf・cmからやっとN・mに慣れたばかりなのに・・・。

 

結果、換算表や電卓が手放せない。

 

このCB92だけでなく当時のHONDAは外国のバイクを模倣したようなデザインではなく、

日本独自のデザインを模索し俗に「寺社仏閣」と呼ばれるデザインを産みだした。

 

しかしながら締め付けトルクなどは日本で一般的でない単位が用いられている。

 

 

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ピストンリング硬い~


                      

 

 

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ピストンは1.0㎜オーバーサイズ



 

 

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カムチェーンのセットに一苦労


                

 

 

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一通り型になって今日はここまで



 

 

当初再利用を考えていたクラッチのプレート類は新しいものを手配する事にした。

 

後から交換する事も出来るので組んでしまおうかと言う話もあったが、

ここまでやってそれも面白くないセルモーターも外し、

往年のレーサー然としたこのバイクを早く走らせてみたい。

 

 

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セルモーターも外した



 

 

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勉強しているのかコキ使われているのか・・・



 

 

三陸沿岸道路が20日に八戸から久慈まで、

さらに宮古盛岡横断道路が28日に開通する事から「春一番ツーリング」や年間行事になりかけている一泊ツーリングにまで話題は及ぶ。

 

相変わらず猛威を振るうCOVID-19の事などすっかり忘れて笑っていたが数日前、

自宅の近所にある宅配ピザから感染者が見つかり実は笑っている場合ではないのかもしれない。

 

 

 

 

閑話休題 教えてください

 

 東日本大震災から10年。

 

あの日からまだ10年なのか、

もう10年なのか、

受け止め方は人それぞれだろう。

 

あの震災が大規模な地震だけで津波を伴わなかったら・・・、

さらに原子力発電所の事故が起きなかったら・・・。

 

もしそうだったなら、

おそらくこの10年は全く違った10年だったのではなかったのか。

 

 

今さらながら、誰か教えて欲しい事がある。

 

広島や長崎に投下された原子爆弾による放射能はどうなったのか。

 

あの時代、あの状況で除染作業をした話は聞いた事がない。

 

東海村に日本初の原子力発電所を稼働させるにあたり、

放射性廃棄物

すなわち核のゴミが残る事は分かっていたはずだが、

どんな方法で処理する計画だったのか。

 

廃炉にする頃には処理方法が確立しているだろう・・・だったのか。

 

10万年後、フィンランドオンカロを検証した科学者たちは、

臭いものに蓋をするしかなかった先人の判断を認めてくれるのだろうか。

 

そもそも10万年に渡りオンカロの存在を伝えていく事は可能なのだろうか。

 

 

多くの災害や戦争の記憶が語り継がれなければならないものなら、

こんな疑問も同時に問われ続けなければならないと思った。

 

だから、生きているうちに、誰か教えて欲しい。