憧 憬 の 轍
2021年11月28日 さよなら僕の友達 番外編18
たとえ年齢が違えども同じ時代を経験した事に端を発する共感。
さらに似た様な立場で過ごした時間。
森田童子 - さよならぼくのともだち(1975) - Bing video
初めて会った時の事は今でもはっきりと覚えている。
Yは軽井沢生まれで、東京で工務店を経営していた。
軽井沢と言う避暑地がどんなに田舎なのかも知らず、
また東京で工務店を営むことがどんなに大変な事かも知らず、
勝手に関東の人間は東北を見下していると思っていた。
Yは少々複雑な家庭環境で育ち中学校を卒業して間もなくして家出同然で東京へ出た。
長野県と東京。東北に暮らす私からすれば目と鼻の先だと思っていた。
ところがYにとって東京は北海道や沖縄よりも遠いと所だと思っていたらしい。
私達は仕事を通じて知り合った。
互いが抱える会社が持つ弱点を補う手段として手を組む事を考えた。
億単位の受注額の公共工事よりも短期間で実になる工事を数多く受注し、
確実に実利に結び付く仕事を探した。
付き合いが深まるにつれ、
互いに持っていた偏見は言葉を交わす度に氷解した。
2年前、COVID-19の感染拡大が世間を騒がせようとしていた頃、
私達は電話で互いの近況を語り合った。
話の途中から酒を持ちだし、
仕事とはまったく関係のない話で盛り上がり、笑った。
言葉が続かなくなる程に笑った。
声が枯れる程に笑った。
年が明けて2月、だったと思う。
携帯電話に表示されていたのはYの名前だった。
新しい仕事の話かと思えば関係のない世間話ばかりで、
仕事が暇なのだろうと思った。
私は彼以上に暇だった。
6月。
電話が鳴った。
Yの名前が表示されていた。
COVID-19の影響で東京は死んだようなものだと言う話をしたくてYが電話して来たと思ったが、
聞こえて来たのは女性の声だった。
Yも自分も30歳代後半に離婚を経験している。
一瞬、Yが再婚したのか、
またはする気なのかと思ったが、
声の主はYの姉だった。
「Yが亡くなりました。昨日が四十九日でした」
Yが40歳代の終わり頃に胃癌を患った事や、
手術後の経過が医師も驚くほど良好だった事も聞いて知っていた。
真っ先に浮かんだのは「再発」の二文字だったが、
まったく別な部位に出来た癌が死因だったと言う。
それはサイレントキラーと呼ばれるものらしい。
彼女はYの遺言と共に彼の死を連絡するリストを受け取っていたと言う。
その中に私の名前があった。
彼女は、いわゆる生前の好誼に対する謝意を述べていたつもりだったかもしれないが、
私はそんな事は聴きたくなかった。
あれから何度か季節が変わり、
私は朝早くに目覚めると近所の公園まで散歩するようになった。
春には桜が咲き、
秋には紅葉や楓に彩られる小さな公園だ。
初霜が降りた後のベンチは冷たい。
色づいた葉も花も無い季節。
木漏れ日の中で私は携帯電話のリストに残してあったYの電話番号にかけてみようと思った。
そして「発信」のボタンは押さずに、
それを「削除」に切り替えた。