憧 憬 の 轍
2023年4月2日 Once Again 14th 復活の狼煙
今年の桜前線は予想を上回る速さで北上を続けている。
仙台でも既に満開で多くの花見客で賑わう様子が報じられていた。
榴ヶ岡公園に屋台が並ぶのは4年ぶりの事。
それが本来の花見の光景だと思いながらも、どこか懐かしような気がするのはCOVID-19のために自粛を強いられた時間のせいだろう。
今日は晴れていても肌寒さを感じるが、来週は大幅に気温が上昇すると予想されている。
桜前線はさらに速度を上げるのかも知れない。
‘75 CB400Fourのエンジンを再始動した。
始動前にポイントを再確認したがアームの動きが悪かったのでベースから外して分解、アームのシャフトのグリスを入れ直した。
再始動後まずはカムチェーンの調整。
整備マニュアルに記載されている方法はテンショナーアームなどを新品で組んだ時以外は使えない。
エンジンを組み立てる時にテンショナープッシュバーを押し込んだ状態でアジャスティングボルトを締めておき、始動後アイドリング状態(1,200rpm)でボルトを緩めれば適正なテンションが得られる。
その後アジャスティングボルトを締め直すとなっている。
整備マニュアルに記載された方法が使えないのは、カムチェーンの調整を細目にして来たつもりでもチェーンがアームを叩いて動きが悪くなってしまうからだ。
そこでアイドリング状態で細い金属の棒でプッシュバーを強制的に押し下げてカムチェーンのノイズが消えたところでアジャスティングボルトを締める。
カムチェーンの次は点火タイミングの確認。
タイミングライトを当て1,200rpmでFマーク、2,500rpmでIIマークであれば適正なタイミングと判断される。
このタイミングライトは10年以上前に知り合いから貰ったものだが、ボディには「National」のロゴがある。
バイクも古けりゃ道具も古いってか?
そして今日のメインイベントはキャブレターの同調だ。
4連バキュームゲージを取り付け、まずはゲージの0調整。
マニュアルで指定されている吸気圧は16~24cmhg。
手元にあるバッキュームゲージの表示単位は㎏/㎠のため換算が必要だが吸気圧が上がっているのはピストンリングを替えたためだと思う。
外したままだった外装部品を取り付けた。
タンクを載せるのは5カ月ぶり。
クラッチやアクセルなど微調整が必要な工程は今後、走りながらする事になる。
タペットのシム交換を繰り返して来た『スポカブ・ブラザース(弟)』は朝早くからの作業で、CB50改もついにヘッドカバーを締めた。
シムの交換や部品の手配に予定外の時間を費やしたが4ヶ月におよんだ作業が終わった。
午後になって顔を出した『特攻隊長』と『編集長』の手を借りてエンジンをフレームに載せた。
エンジン本体の重量は重いものではないが、人手があった方が作業は早い。
さらに安全だ。
そしてエンジンは無事に再始動した。
『樵の巨匠』のガレージでもCRキャブレターを搭載したZ400FX が再始動したらしい。
2番のフロートチャンバーからガソリンが漏れているがそれ以外には大きな問題は無さそうだ。
ただアイドリングを2,500rpm以下に出来ない。
実は自分もCRキャブレターを装着したSUZUKI GS400の調整に挑み、結果、ギブアップした事があった。
あの時と同じだ。
今後は『樵の巨匠』のお手並みを拝見させてもらう事にしよう
「櫻の樹の下には屍体が埋まってゐる」。
梶井基次郎の『櫻の樹の下には』の衝撃的な冒頭文は有名だ。
満開の桜を見て屍体を想像するのは彼が才能のある文人だった証だと思うが、そんな事を思わせるくらいに咲き誇る桜が観たい。
そして夜、静寂の中で耳を澄ませば、はらはらと花びらが舞い散る音が聞こえるのかも知れない。
閑話休題 目の前に広がる海
北緯38度47分、西経9度30分にその石碑は建てられている。
そこはポルトガルのロカ岬、「ここに地終わり海始まる(Onde a terra se acaba e o mar começa)」と彫られている。
ポルトガル最高の詩人と言われるルイス・ヴァス・デ・カモンイス(Luís Vaz de Camões)による叙情詩ウズ・ルジアダス(Os Lusiadas)の第3詩20節からとられたものだ。
ヨーロッパの人々はこの岬から大西洋を眺めて大陸の西の果てを知り、ある者はこの海の向こうには地獄が待っていると信じていた。
またある者は勇敢にも船を漕ぎ出し、その結果、コロンブス(Christopher Columbus)はアメリカ大陸を発見し、バスコ・ダ・ガマ(Vasco da Gama)はアフリカ南岸を経たインド航路を発見する。
大航海時代の始まりだ。
未知の海に漕ぎだす事は勇敢でもある反面、無謀でもある。通説や教えられたことに忠実なのは悪い事では無いが、時にそんなものには「クッソっ喰らえ」と言いたくなる事がある。
目の前に広がる海はいつも果てしなく広く、そして深い。